テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

みいつけた!〔1〕

番組ID
207809
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2009年03月30日(月)09:15~09:30
時間(分)
15
ジャンル
crib幼児・子供
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
PD:宮郷真由美、CP:大谷聡
概要
椅子をモチーフにしたキャラクター「コッシー」、明るく元気いっぱいな女の子「スイちゃん」、サボテンをモチーフにしたキャラクター「サボさん」などのキャラクターが登場する4~5歳児を対象とした、教育的エンターテインメント番組。◆第1回は、スイちゃんたちのみつけっこのほか、おフロスキーの「よんだ?」、みやけマンとたいそう「なんかいっす~」(作詞:宮藤官九郎、作曲:星野源)、クルットさんの「モノができるまで」、うた「みいつけた!」(作詞・作曲:トータス松本)などのコーナーで構成する。

同じ年代の公開番組

TSBネイチャードキュメント 里山大回廊をゆく 第6集 絆むすぶ道祖神の里 ~野沢温泉村・野沢組~

長野県野沢温泉村は、古くから出湯の里として、その名を全国に知られてきた。温泉は弱アルカリ性硫黄泉で糖尿病、痛風などに効くと言われ、多くの湯治客・観光客を集めている。◆ここの温泉は江戸時代から続く自治組織「野沢組」によって今日まで守られてきたという歴史を持っている。「野沢組」は温泉の源とも言えるブナの原生林の保護をはじめ、源泉から流れ出た温泉の管理、外湯と呼ばれる共同浴場の清掃など温泉に関わる様々な事柄に携わっている。また「野沢組」は村の人口の半数を超える約2000人で構成され、毎年1月15日に行われる国の重要無形民俗文化財「道祖神祭り」の運営にもあたっている。こうした「野沢組」のあり方は、その代表である「惣代」を指して「もう一人の村長」と言い表すこともできる。◆野沢温泉村の「里山」に延々と続いてきた自治組織「野沢組」。毎年3月は、そのトップを選ぶ「惣代選挙」の時。手を上げる人が少なくなってきたといわれる「惣代選挙」だが、温泉を守っていく為には必要な「惣代」だ。◆「野沢組」は言わば「湯守」と言える存在であり、「地域の絆」であるとも言える。「道祖神祭り」「惣代選挙」という「野沢組」の大きなイベントを紹介しながら、自治組織「野沢組」が地域で果たしている役割を見つめる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
mitスーパードキュメント おらほが一番!

岩手県沿岸南部に位置する陸前高田市。長さ2kmに及ぶ砂浜が続く“名勝・高田松原”を有する陸中海岸国立公園の南玄関口だ。人口約2万4000人の街が、一年で最も活気づくのが「けんか七夕」。重さ4トンの山車同士が激しくぶつかり合う山車の後ろでは、100人を超える人たちが手のひらにマメをつくりながら懸命に山車を引く。◆けんか七夕が行われる同市気仙町では、この他にも地区が対抗するイベントが年間を通して行われる。けんか七夕のわずか1週間後、お盆の真っ最中には「町民野球大会」。お墓参りもそこそこに済ませ、海水浴客を横目に白球を追う。そして、さらに盛り上がるのが秋の「町民運動会」。開催の数日前から夜間特訓が行われるほどの力の入れようだ。他の場所では参加者を集めるのにも苦労するという地域運動会だが、気仙町では全人口の半数以上が参加し、地区の意地をかけて優勝を目指す。◆住民たちは、年間を通して行われる対抗イベントの数々を地域の伝統ととらえ楽しんでいる。他の地区から移り住んだ人たちも、始めは戸惑いながらもイベントを通して地域に溶け込んでいく。番組では、けんか七夕や町民野球大会、そして運動会と「おらほが一番」を目指し、住民総出で行われるイベントを通じて強まる地域の絆を紹介する。(※この番組は東日本大震災が発生する前に制作放送されたものです。陸前高田市は震災により大きな被害を受け、地域の状況も大きく変容しました。)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBCスペシャル 残された刻 満州移民 最後の証言

多くの命が奪われた満州移民とは何だったのか。戦争体験者が高齢化するなか、その体験をどのように伝えていくのか。人々や家族にとって、未だあの戦争は終わっていない。体験者の直接証言を得られる最後の機会を迎えた今、終戦間際の1944年に渡満し、95人のうち74人が集団自決などで亡くなった河野村開拓団(現:豊丘村)の軌跡を、証言と資料で辿る。◆長野県は、全国で最も多くの農業開拓者や青少年義勇団を満州に送り出したが、一番多く送出した下伊那地方では、体験者の証言が得られる「今」、聞き取りによってその歴史を検証する取り組みが続いている。満州移民は、中国の植民地支配を目的に、ソ連国境の防衛と食糧増産を進める国策だった。しかし、終戦間際にはすでに行き詰っていた。そのなかで、なぜ、河野村は国策に呑みこまれていったのか。当時の村長の日記から、その複雑な経緯が見て取れる。現在、開拓団の生存者は僅かで高齢である。79歳の久保田さんは、集団自決した団員と行動をともにして生き残り、当時の状況を知る唯一の人物である。そのときの様子は、60年余りが経った今も忘れることができないという。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組