テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ふるさと絶賛バラエティ いーよ!〔82〕

番組ID
208586
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年02月22日(土)12:00~13:00
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリーgroups芸能・バラエティー
放送局
テレビ愛媛(EBC)
製作者
テレビ愛媛(EBC)
制作社
テレビ愛媛(EBC)
出演者
スタッフ
カメラ:西村一輝、音声:武智裕二、音声:田坂隆、技術:伊藤龍一、技術:村上岸夫、技術:白石敦俊、技術:田坂隆、音響効果:片岡幸司、MA:山本正志、照明:森本悠介、編集:後藤健介、CG:木下恵梨佳、ヘアメイク:高岡笑子、広報:福田浩之、ディレクター:大西美恵、ディレクター:河上直樹、ディレクター:清水幸一、ディレクター:喜夛光司、ディレクター:水沼智寿子、ディレクター:吉本満、プロデューサー:日野崇
概要
ふるさと愛媛の良さを再発見する土曜お昼の情報バラエティ番組。出演はふるさと絶賛普及協会員の東将太、桝形浩人、中山明音、八木菜緒。(2012年7月7日放送開始)◆第82回「鬼北町・絶賛の旅」。まっすんと中山アナが、愛媛県の南端に位置する山深い町・鬼北町へ。旧日吉地区では仙人と呼ばれる男性と遭遇し、謎に包まれたその生活に迫る。また、平均年齢75歳“こんにゃく作りのAKB”というお母さんグループも登場する。日吉商店街では、歴史ある建物にある開かずの巨大金庫や、創業70年・老舗のお菓子屋さんを紹介。さらに道の駅でお抱え画家として活動する男性が、鬼北町の産品をPR。鬼北大使として負けられないまっすんたちと宣伝ポスター対決を繰り広げる。「エリア立ち入り禁止」コーナーでは、ひめキュンフルーツ缶の河野穂乃花と菊原結里亜が、生口島の造船工場で建造中の巨大フェリーに潜入する。

同じ年代の公開番組

BBTスペシャル 迷走 ~バス事故はなぜ繰り返されるのか~

全国の都市と都市を結び、人々の移動を支える高速バス。しかしバスはいま、最も大切な「安全」を問い直される事態に直面している。関越自動車道で発生した高速ツアーバス事故をきっかけに、様々な規制や対策が図られた。だが、事故はその後も全国で相次いでいる。◆2014年3月、北陸道小矢部川サービスエリアで発生した高速バス事故では、乗客の男性と運転手の男性の2人が死亡し、26人が重軽傷を負った。運行していたのは仙台市の宮城交通。仙台から石川県の金沢、加賀温泉に向かっていた高速バスで一体何が起こったのか。乗客の証言や車体の傷跡から、事故直前のバスの異変が明らかになる。司法解剖の結果、運転手の死因は事故による外傷性ショックと見られているが、いまだに断定には至っていない。警察が事故発生前後の様子を記録したドライブレコーダーの解析を進め、運転手は何らかの原因で体調が急変し、意識を失ったとの見方が強まった。事故を起こした運転手は連続勤務11日目であったが、会社は国の労働基準に基づき、過重労働には当らないとしている。◆2年前の2012年4月、群馬県藤岡市の関越自動車道で発生した高速ツアーバス事故。この事故で女性3人を含む乗客7人が亡くなり、38人が重軽傷を負った。バスの運行会社に対する特別監査では、運転手の日雇労働や名義貸しなど、法令違反が次々と発覚。かねてから受注競争の激化など、問題を指摘されていた「高速ツアーバス」。国は重い腰を上げ、「高速ツアーバス」という業態を廃止。事業許可が必要な「高速乗合バス制度」に移行するなど、新たな規制を設けた。◆それでも全国で繰り返されるバス事故。北陸自動車道サービスエリアの事故を受け、国もさらなる対策に乗り出す。しかしバス業界の現場には、苦悩と葛藤が充満していた。深刻な運転手不足。2000年の規制緩和により、バス事業へ参入する業者が2倍近いおよそ4500社に。それが過当競争を招き、価格競争が激化。運転手の長時間労働は変わらず、賃金は下がり続けている。事故が相次ぐ中、どう労務管理を図っていくのか。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ドキュメンタリー 命を撃つ

1976年ごろ国内に53万人いた狩猟人口(狩猟免許所持者)は、2010年で19万人まで減り、その6割超が年齢60歳以上となっている。一方、2012年度の北海道内におけるエゾシカによる農林業被害は63億円に上る。かつては、集落ごとに狩猟免許を持つ「ハンター=狩猟者」がいて、エゾシカを「自然に押し返す」役割を担っていた。北の大地・北海道では、狩猟者が不在となることで、食害も増え、営農意欲がそがれ、耕作放棄地を生むという悪循環を招いている。◆足寄町大誉地の農家・早坂祐さんは食害に立ち向かうために49歳で狩猟免許を取得し、73歳の今も現役のハンターとして畑のシカを駆除している。限界集落で田畑を守るために狩猟を行う老ハンター・早坂さんの日々を取材する。◆江別市の酪農学園大学には、日本で唯一のハンターを養成する狩猟管理学研究室がある。狩猟免許を持つ伊吾田宏正准教授は、野生動物を狩猟によって管理することを教えている。この研究室の大塚裕之さんは2013年に狩猟免許を取得。実習やシカの解体などを通じて、狩猟による動物管理の技術を学んだ。「もともと動物が好きで酷農学園大学に進んだ。銃に良いイメージはなかった」と語る大塚さん。初めて獲物をしとめた=命を撃った時、彼は何を感じるのだろうか。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
明日へ ~船越小学校・子どもたちが向き合ったあの日~

「僕たちの図書館は段ボールで出来ています」。間借り枝舎のビデオレポートをするのは、船越小の子どもたち。そして、カメラを回しているのも船越小の子どもたちだ。◆岩手県の山田町立船越小学校は全校児童141人。2011年3月11日の東日本大震災で、町内9つある小学校の内、ただ1校、校舎が被災し、3年間にわたり「間借り校舎」で学校生活を送った。間借り校舎の学校生活を自分たちの手で記録しよう―。地元放送局と一緒になっての記録ビデオ作りが始まったのは2013年10月のことだった。◆「“ギャングエイジ”と言われる小学校3年生の時期に震災を経験。いつもどこか感情を押さえ、我慢している」。担任の畠中先生がそう話す6年生29人が制作を担当した。初めてのカメラ撮影にレボート、そしてインタビュー。恥ずかしい気持ちや緊張で最初はなかなか上手くいかなかったが、次第に子どもたちは取材活動に楽しみや喜びを見出していく。そして、徐々に「震災」という“あの日”と向き合うことに。「伝えるためには津波の映像も使った方がいい」「私たちの思い出は震災だけではない」。子どもたちの胸には、29人それぞれの思いがあった。◆番組では、間借り校舎での半年間の学校生活から、被災東北3県で最も早く完成した新校舎での子どもたちの様子を記録。取材活動を通して成長していく子どもたちや、それを温かく見守る学校の先生、そして地域の人たちの姿と思いを伝える。震災の何をどう記録し、伝えていけば良いのか。あの日から3年。復興道半ばの今、耳を傾けて欲しい“子どもたちの心の声”がある。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
離島からの挑戦状 ~ないものはない~

日本海の島、島根県隠岐諸島・海士町。本土からはフェリーで3時間半かかる。今はIターンの若者が多く移住している海士町だが、かつては少子高齢化の中で島の産業は衰退し、町の収入も減少の一途をたどっていた。そうした中、海士町を救ったのが、町民全体で共有した「危機感」、そして「ないものはない」という考え方だ。◆「何もない島なら失うものも何もない」海士町がとった戦略は、ノーガードで攻め続けること。町民は福祉や保健に関わる行政サービスを我慢した。その分、島のハンデを克服して本土の産業と戦えるようにと、とれたての魚介類を瞬間冷凍して出荷する設備に5億円を投資した。島の産業を再生させて雇用の場を確保するだけでなく、島の外で商売をして「外貨」を稼ぐことを目指したのだ。◆「儲かるのなら何でもやれ」町長の大号令のもと、知恵とアイデアのある人材は島をあげて応援する。噂を聞いた若者が全国から集まって、島で起業し始めた。若いアイデアと島の産業がコラボレーションし、新しいビジネスが生まれている。さらに産業づくりの次のステップとして、海士町は島の未来を担う人づくりまでも自分たちの手で進めようとしている。◆一方で、日本の離島が抱える課題はなくならない。番組では、海士町だけなく全国の離島地域の取材を通し、島の厳しい現状を描く。海士町の取り組みを通じて全国の離島が進むべき先を模索し、いきいきと島で暮らす人々の姿を通じて、大量消費社会における「幸せ」を考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
メ~テレドキュメント 祖国への遺言 ~「英雄」荘則棟と中国~

中国で「民族の英雄」と呼ばれた元卓球チャンピオン・荘則棟。2013年2月、北京。彼の告別式は異様な雰囲気に包まれた。会場は病院の霊安室。周辺を公安警察が取り囲み、メディアの取材や一般の弔問は禁止された。当局はなぜ、荘の弔いを隠そうとしたのか。◆荘には妻がいる。佐々木敦子さん。旧満州生まれの日本人で、27年前に荘と国際結婚した。敦子さんは荘が亡くなって数ヶ月、遺骨を手放せずにいた。「困難を共に越えてきたから二人でいたい」そんな気持ちの表われだ。◆1960年代前半、荘則棟は卓球の世界選手権で「男子シングル3連覇」という偉業を達成。建国から間もない中国で、国民に希望と自信を与えた。大会の後、荘は33歳の若さで大臣に抜擢される。ところが毛沢東の死後、権力を握っていた四人組が失脚。荘は四人組の追随者とみなされ、投獄された。◆釈放後、荘は敦子さんと出会って結婚するが、「四人組の追随者」という格印は消えなかった。敦子さんは荘が亡くなって初めて、その意味を知ることになる。敦子さんに訪れた試練、そして荘が残した言葉の意味の中に、現在の中国の「素顔」が垣間見える。◆「メ~テレドキュメント とむらい 英雄の妻が見た国家」の再編集版。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組