テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ボイメン体操

番組ID
209375
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年11月27日(木)15:45~15:47
時間(分)
2
ジャンル
groups芸能・バラエティー
放送局
CBCテレビ
製作者
CBCテレビ
制作社
CBCテレビ
出演者
スタッフ
制作:丸山蘭那、演出:三浦裕史、原作:谷口誠二、構成:三浦裕史
概要
東海地方出身、在住者で構成され、東海エリアを中心に活躍するグループ「BOYS AND MEN」(ボイメン)。子どもたちやその母親たちの間で人気上昇中の彼らが、東海3県の保育園・幼稚園を訪ね、園児たちと一緒にオリジナル曲の体操を踊る。CBCテレビの情報番組「ゴゴスマ」内コーナー「みんなでおどろう!ボイメン体操」。◆この日はボイメン体操のお兄さん3人が愛知県知多郡東浦町へ。おともだち・東ケ丘幼稚園かもめ組のみなさんと、元気に楽しく歌って体操する。曲の歌詞は「パパママいつもありがとう」「みんなのゆめをかなえよう」など、子どもたちの日ごろの行いに関するもの。ボイメン体操は開始以来150以上の園を訪問している。

同じ年代の公開番組

YBSふるさとスペシャル 来んきゃ食えんだ ~移動販売車が考える山梨の未来~

南アルプスの麓に位置する山梨県南巨摩郡早川町は、住民約1200人という”日本一人口の少ない町”。高齢化率は約50%で全国平均の2倍の高さだ。そんな早川町内には生鮮食料品を買えるお店が1か所しかない。そのため、車を運転できないお年寄りたちにとって、週1回やってくる移動販売が貴重な買い物の機会となっている。◆移動販売車を走らせているのは、南アルプス市にある食品卸売会社のマルハ。かつて早川町での移動販売は地元のJAが担当していたが、採算が合わないという理由でマルハに業務委託した。販売車には生鮮食料品をはじめ、洗剤やろうそくなどの生活用品、野菜の種まで揃っていて、お年寄りたちに“自分の目で見て物を買う”という楽しみを提供している。普段は取り扱っていない商品を購入して届けるサービスも行っており、町民の生活に欠かせない存在だ。◆移動販売はガソリン代や人件費がかさむため、利益を得づらい商売である。業務を安定して続けるには公的な補助が必要だと専門家は指摘する。しかし行政を取材すると、民間に頼り切りの実情が見えてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
又吉直樹、島へ行く。 母の故郷~奄美・加計呂麻島へ

お笑い芸人のピース・又吉直樹が、母の故郷である奄美・加計呂麻島(かけろまじま)を巡る。島人の暮らしや文化に触れ、自身を見つめ直し、島が見せてくれた風景を、又吉ならではの言葉に変えながらの旅。やわらかな奄美の情景を、原田知世の語りで映し出す。◆第1章「僕の知らなかった島の日々」。コンビニもスーパーもない、島での暮らし。奄美大島まで毎日フェリーで通勤している人も珍しくない。島民たちはリゾートホテル建設を拒否した。この不便な島に人々はなぜ住み続けるのか。又吉、半農半漁の暮らしをつづける男と出会う。◆第2章「島人よ なぜシマ唄をうたう」。“何もない島”で、又吉が出会ったシマ唄。かつて、琉球王朝や薩摩藩から支配を受け続けた島人たちが育んできた奄美独特の文化。シマ唄のシマは、奄美の方言“集落(シマ)”を指している。シマ唄教室を開く女性や、シマ唄を生き甲斐にする老人と出会う。時間を見つけてライブハウスへ、1人歌を聴きに行くという又吉。唄を支えにする島人たちの生き方に、何か通じるものがあるようだ。◆第3章「僕はケンムンに会えるのか」。加計呂麻島には住むという伝説の妖怪・ケンムンを探す。本来は穏健だが、聖域を荒らす人間には危害を加えるそうだ。島人はケンムンに対し、大人も子どもも畏れとともに親しみを抱いている。ケンムンが出ると言われる場所を辿ると見えてくる暮らしの知恵。又吉、「ケンムンを見た」と話す人物に出会う。◆第4章「母を育てた小さな集落(シマ)」。母の故郷「勢里」を、又吉、15年ぶりに訪れる。親戚の話を聞き、さらに身近に触れる島の暮らし。母が徒歩30分をかけて通っていた小中学校へ。忘れていたと思っていた記憶が散り散りに戻ってくるが、見えてくるものは15年前と何処か違う。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
うまい酒、もう一度 ~老舗蔵元豪雨災害からの復活の歩み~

2013年7月28日に山口県北部を襲った豪雨災害。死者2人、行方不明者1人、1千を超える家屋が浸水するなど、山口市や萩市などで大きな被害が出た。◆萩市小川地区では町の中心を流れる田万川が氾濫した。川の畔にある創業90年の蔵元、澄川酒造場も酒造りの設備のほとんどが壊滅した。酒造りの再開が危ぶまれるほどの状況であったが、社長兼杜氏の澄川宜史さんは強い決意で復活への道のりを歩み始めた。◆復旧に手を貸したのは、全国の酒造りの仲間たち。土砂やガレキの除去作業は急ピッチで進んだ。復活への第一歩は、水に浸かりながらも品質に問題がなかった酒の出荷。酒のコンテストの表彰式で訪れた東京では、仲間たちと再会して勇気を得た。◆酒造りが始まった。緊張感に包まれる蔵で、黙々と作業は進んだ。家族の支えも澄川さんを後押しする。復活への歩みが進むにつれ、澄川さんの心境にも変化が…。「被災者としての甘えに区切りをつけなければいけない」と複雑な心境がのぞく。◆迎えた新酒の搾り。そして出荷へ。うまい酒を届けるために、蔵では今日も酒が搾られる。番組は、老舗復活までの歩みをつづる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組