テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

OHKドキュメント 追憶 あなたへ 戦没者の妻が語る戦後70年

番組ID
210525
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年08月24日(月)02:55~03:35
時間(分)
36
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
岡山放送(OHK)
製作者
岡山放送(OHK)
制作社
岡山放送(OHK)
出演者
ナレーション:竹下美保
スタッフ
撮影:平井大典、編集:平井大典、CG:小幡珠希、編成:吉岡主樹、広報:吉岡主樹、ディレクター:秦彩子、プロデューサー:塚下一男
概要
太平洋戦争で夫を亡くした女性たちの戦後70年に迫るドキュメンタリー。◆結婚生活がわずか9日聞だったという女性は、シベリア抑留された夫の帰りを、死亡が確認できるまで40年以上待ち続けた。お金がなくて長男を高校に行かせてやれなかったことを思うと、今でも涙が出るという女性もいる。戦地で過酷な体験をした男性たちの証言に注目が集まる中、残された妻のその後の人生が語られることはほとんどなかった。亡き夫を記憶の中にひっそりと留め、生き抜いてきた妻たちの戦後70年を綴る。

同じ年代の公開番組

いきがい ~95歳 現役菓子職人の明け暮れ~

富山県黒部市。人通りも少ない富山地方鉄道・石田駅の前に「紙谷製菓舗」は店を構える。ここで独り暮らしをしながら、たったひとりで店を切り盛りしているのが、95歳のご主人・紙谷繁夫さん。たくさんの皺が刻まれた手から生み出されるのは、細かい細工が施された和菓子や、食べた人をほっとさせる洋菓子だ。◆店先のショーケースは決してにぎやかではないけれど、すべてのお菓子におじいちゃんの技術と人柄がにじみ出ていて、足を運ぶお客さんは絶えない。季節のお菓子「あずまやき」は大人気。紙谷さんはひとりで徹夜の作業をして、800個を仕上げる。◆お菓子が人を笑顔にする力があることを、おじいちゃんは知っている。かつて海水浴客でにぎわいをみせた黒部の街、戦友を亡くしたつらい戦争。子どもたちを事故から守りたいとはじめたボランティア…。おじいちゃんの人生にはいつもお菓子作りがあった。◆今、生きていること、今、仕事ができていること、何気ないおじいちゃんの日常には「ありがとう」の言葉があふれている。そんなおじいちゃんの口癖は「一日一日、感謝して生きる」。お菓子作りは生き甲斐だという、生涯現役を貫いた菓子職人の1年6ヶ月を描く。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
おばあちゃんの台所スペシャル 目指せ漬物日本一!きくみひふみ再挑戦

漬物名人と呼ばれる岡山県吉備中央町の武村菊美さんと、テレビせとうちの浅井批文アナウンサー。年の差57歳のコンビ・きくみひふみが、オリジナル漬物の日本一を決める全国大会「T-1グランプリ」に再度挑戦する姿を追う。◆武村さんは漬物歴65年。前回のT-1大会には、岡山県産の野菜や果物を使った「鉄砲漬け」で浅井アナと出場。予選の西日本大会で伝統部門賞を受賞したものの、全国大会出場は逃した。番組は、大会への再挑戦を決めた春先から2人の漬物作りに密着。2人は試行錯誤の末、新作「きくみひふみの夢漬もち」を開発する。「甘いあん餅を食べた後に漬物が欲しくなる」というひらめきから考案されたお漬物だ。スティック状のユズ漬物をソウメンナンキンの漬物入りあん餅でくるみ、さらに大葉で巻く。2人は倉敷市で行われた中四国ブロック大会に出場。武村さんは大会前に自宅で転倒、腰の骨を折ってしまう。しかし車いすで臨みながらも、審査員の前でプレゼンテーションをこなした。果たして「きくみひふみの夢漬もち」の審査結果は…。


cinematic_blurドキュメンタリーgroups芸能・バラエティーtvテレビ番組
英雄の妻 敦子 ~激動の日中関係を生きた女の人生~ / 第29回民教協スペシャル

1971年3月、愛知県体育館で開催された「世界卓球選手権」。東西冷戦の時代、断絶していた中国とアメリカが手を取り合うきっかけとなった大会だ。荘則棟(そうそくとう)はその「ピンポン外交」の立役者。彼は世界卓球選手権を3連覇し、建国間もない中国に夢と希望をもたらした「民族の英雄」だった。◆この時に名古屋で荘則棟と出会い、後に妻となった佐々木敦子さんは、1944年に当時の満州で生まれた。獣医だった父親の研究継続のため、終戦後も家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし祖国での暮らしに馴染めず、心は中国を求めていた。◆そんな時に世界卓球選手権大会が開かれた。中国代表チームの参加が報じられ、敦子さんはたまらずに名古屋へ向った。中国チームのいるホテルを訪ねた敦子さんに、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘は「日中友好に貢献を」と言葉を掛けたという。そして敦子さんは大手商社の中国駐在員となる。荘はスポーツ大臣にまでなっていたが、毛沢東が亡くなり、それまで権力を握っていた「四人組」が失脚。荘は四人組の協力者とみなされ、4年間監禁された後、地方へ追放された。◆敦子さんは荘則棟の境遇を知り、北京で荘と再会した。そして何とか彼を救おうとし、いつしか2人は恋に落ちた。しかし中国政府は2人の結婚を認めなかった。大きな犠牲を払い結婚した2人に、20年以上は幸せな日々が続いた。しかし2013年に荘がガンで死亡。そして中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 絶望の中に光を “The Light in the Despair” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆中国配電(現・中国電力)の電気設備は、爆心地から半径2km以内で壊滅的打撃を受けた。被爆と同時に停電し、6日は暗黒の一夜だった。翌7日には、三次・可部・呉・竹原・岩国など近郊の電業局から続々と救援隊が到着。生き残った職員は救援隊と共に、半焼けの傾いた電柱を起こし、焼けた電線を張り、連日深夜まで復旧作業にあたった。「一刻も早く不安におののく市民に光を…」(『あの日 あのとき~電力会社の被爆と復興の記録~』)。比較的被害が軽微だった段原変電所を応急修理し、8月7日には焼け残った宇品方面に送電を開始。8月8日には広島駅前一帯と本社社屋に、8月20日には残存家屋の3割に、11月末には残存家屋のすべてに、「希望の光」を灯した。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組