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ニュース映画

大毎ニュース 776 星条旗の下の日本人 小笠原諸島

番組ID
N02147
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1966年06月08日(水)
時間(秒)
171
カテゴリ
社会
概要
小笠原墓参団が22年ぶりに訪れた父島の小曲墓地は荒れ放題のまま、人々は墓を清掃しやっと帰ってきたと夢にまで見た帰島を報告した(1966年5月24日)。父島大根山墓地での合同追悼式では、1日も早く共に暮らせる日が来るよう祈った。島の8年制小学校では、日本語の授業がわずか週1時間、これでは若い世代が日本から遠ざかるというのが島の人の嘆きだ。200人足らずの島の人達は、日常品の全てをグァム島から輸入、日本品は高くてなかなか手に入らぬのが悩みの種。日本への関心が高まるばかりの現在、もっと自由に往来したいというのが、戦後20年星条旗の下に暮らして来た島の人達の願いである。

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