テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ドキュメント九州 モーモー母ちゃん奮闘記

番組ID
217159
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年12月19日(日)14:25~14:55
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
テレビ宮崎(UMK)
製作者
テレビ宮崎(UMK)
制作社
テレビ宮崎(UMK)
出演者
ナレーター:高巣由貴
スタッフ
テーマ曲:伊東ミキオ、撮影助手:中村駆、題字:黒木美希、MA:西村良和、撮影:魚住忠宏、編集:魚住忠宏、ディレクター:結城葵、プロデューサー:馬原弘樹、プロデューサー:鵜木健
概要
日本三大秘境の一つ、宮崎県椎葉村に牛の命を守るために奮闘する牛専門の女性獣医師がいる。椎葉村出身の宮下絢香先生である。「獣医師になってここに帰ってくる」という幼い頃からの強い想いを持ち続け、3年前に獣医師として帰郷。夜中の出産や突然の呼吸困難など予測不可能な現場に日々立ち向かっている。牛が貴重な収入源となる山村で、農家の生活と牛の命との狭間で苦悩しながらも絢香先生は全力を尽くす。一方、絢香先生は3歳の娘を育てる母としても奮闘中である。鹿児島県で離れて暮らす夫との新しい夫婦の形とは。

同じ年代の公開番組

テレメンタリー2021 拭えぬ不安 避難計画 ~福島の教訓はどこに~

2021年3月、水戸地裁が東海第二原発の運転差し止めを命じる判決を出した。その理由は、避難計画の不備。福島第一原発の事故後、各地で原発の運転差し止めを命じる司法判断がなされてきたが、避難計画を理由にしたものは初めてだ。一方、同じ太平洋に面した東北電力女川原発。福島第一、東海第二と同じく、東日本大震災で津波の被害にあった「被災原発」では初めて、再稼働の地元同意を取り付けた。東北電力は2022年度中の対策工事完了を目標とし、再稼働は早ければ2年後に迫る。再稼働に向けた地元同意の議論の中で、避難計画の実効性を疑問視する声が集まった。地元住民は、福島のような事故が起きれば逃げることが難しいと不安を抱く。特に、原発の先に位置する牡鹿半島の住民は、原発に近づく避難路で逃げなくてはならない。また、震災で道路が寸断され陸の孤島になった経験から、陸路での避難は不可能だと不安を募らせる。唯一の避難路となる県道2号は財政難から県単独の整備が難しく、国の財源頼みで見通しが立たない。訓練を実施することで問題点の洗い出しをすることを約束し、村井知事は去年11月、再稼働に同意する意向を示した。だが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、訓練が出来ていない。検証や住民への周知の場は開けないまま、刻一刻と再稼働に近づいている。福島の事故が突き付けた、原発事故による避難の過酷さ、むごさは、10年経った今、教訓としてどのように生かされているのか。また、どうすれば避難計画の実効性を上げていけるのか検証する。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’21 凍土の記憶 ~96歳が伝えたシベリアの強制労働~

10月7日は京都府舞鶴市にとっては特別な日である。1945年に第二次世界大戦後の満州やシベリア抑留からの引き揚げ者を迎えたのがこの日だった。以来13年間にわたって約66万人の帰国者と遺骨1万6千柱が、舞鶴港からふるさとへ帰っていった。「シベリア抑留」は、終戦後に、満州の軍人らが次々とソ連へ連行され強制労働させられたことを指す。京都府綾部市の原田二郎さん(96歳)もその一人。16歳の時に満州にわたり、衛生兵として働いていたが、戦後シベリアへ送られた。零下30度、飢えやノルマに追われる過酷な環境で4年間働き続けた。帰国後は毎晩、悪夢に苦しんだ。満州で看護にあたった両手両足のない負傷兵の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。その苦しみは50年間続き、家族にさえ打ち明けたことはなかったが、ある日、地元の婦人会から声がかかり、自らの戦争体験を語ったところ、その晩から悪夢は消えた。この経験を機に語り部ボランティアを始めた。「記憶の封印」を自ら破り「継承」しようとするのは、戦争を二度と繰り返してほしくないという強い思いがあったからだ。精力的に語り部活動を続けた原田さんは、2021年7月、老衰のため息を引き取った。戦後76年、原田さんが伝えた激動の人生と平和への願いは、父から娘へ継承されている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
大豆田とわ子と三人の元夫〔1〕

3度の離婚を経験した大豆田とわ子が3人の元夫たちに振り回されながらも日々奮闘するロマンティックコメディー。脚本:坂元裕二。(2021年4月13日~6月15日放送、全10回)◆第1回。大豆田とわ子(松たか子)は、これまでに3回結婚して3回離婚したいわゆる“バツ3”である。とわ子は建設会社の社長を務め、最初の夫・田中八作(松田龍平)との間に生まれた中学3年生の娘・唄(豊嶋花)と暮らしていた。ある日、社長就任と同時期に亡くなった母親のパソコンを開こうとしたとわ子は、パスワードが設定されていることに気付き、気は進まないものの、設定したであろう元夫のもとを一人ずつ訪ねていくことにした。元夫のうち、今でも定期的に顔を合わせるのは3番目の夫・中村慎森(岡田将生)。とわ子の会社の顧問弁護士で、甘いマスクに似合わない理屈っぽいひねくれ者だ。2番目の夫はファッションカメラマンの佐藤鹿太郎(角田晃広)。業界では有名で腕もいいが、とにかく器が小さい。そして最初の夫である八作は、会社を辞めてレストランのオーナー兼ギャルソンになっていた。とわ子からのパスワード確認をきっかけに互いに接点を持った3人の元夫たちは、さらにひょんなことから集まることになり、とわ子をめぐって話し合いを始める。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
ノンフィクション北海道 無理しない ケガしない 明日も仕事 ~新根室プロレス物語~

2020年9月、サムソン宮本がこの世を去った。根室市で生まれ、おもちゃ屋を営んでいた宮本は、2006年地元の仲間たちと「新根室プロレス」を旗揚げした。メンバーは、土建業、寿司職人、銀行員など様々で、中には心の病を抱えながら宮本に励まされて参加したメンバーもいた。地元の神社などで年数回開催される興行の合言葉は『無理しない ケガしない 明日も仕事』。アマチュアらしいゆるいファイトとエンターテイメント性を前面に押し出したパフォーマンスが特徴で、地道にファンを増やしていった。2017年、宮本がプロデュースした体長3mの巨大レスラー「アンドレザ・ジャイアントパンダ」がSNSで大人気となり、全国的な存在へと急成長した。ところがその矢先、病魔が宮本を襲う。10万人に3人とも言われる希少ガン・平滑筋肉腫と診断された。5年生存率が30%の難病だった。これ以上プロレスを続けることが難しいと判断した宮本は、新根室プロレスの活動に終止符を打った。そしてメンバーにメッセージを残してこの世を去る。宮本が残したものは何だったのか。今年9月に根室で行われた1周忌の追悼プロレスの様子も交え、愛するプロレスを通じて、日本の東端の街を活気づけた一人の男の軌跡を追う。2022年放送人グランプリ特別賞受賞。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’21 1・17阪神・淡路大震災 死ぬまで生きてやろうじゃないか ―神戸からの音がえし―

松原裕さん(39歳)は、ライブハウス経営と音楽プロデューサーを続けながら、神戸でチャリティフェスティバル「カミングコウベ」を開催してきた。毎年人気アーティストが100組近く集結し、入場無料とする代わりに募金を呼び掛けるなど、東北や熊本など他の被災地への支援を精力的に行っている。松原さんは中学生の時に神戸市で被災し、何もできなかった後悔の念から10年後の2005年にイベントを立ち上げ、松原さんの考えや熱意に共感するアーティストや神戸の企業によってイベント規模は年々大きくなっていった。ところが、2016年松原さんにステージ4の腎臓がんが見つかり、余命2年を告げられる。2児を育てるシングルファーザーでもある松原さんにとってあまりにも厳しい現実だが、決して諦めず、自らの病と闘い続け、宣告された2年が過ぎた。15周年となる2019年のイベント開催を見たいと願った松原さんだったが、開催まで残り1か月近くとなった4月に容態が急変し、家族や多くの仲間たちに見守られる中、息を引き取った。「キッカケは何でもいい、若い世代が自発的に震災・チャリティについて考える場にしたい」と語っていた松原さん。その遺志はどのような広がりを見せたのか。震災への支援の在り方と世代継承を伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーmusic_note音楽tvテレビ番組