テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

私の日本語辞典 大阪の言葉・上方のひびき(3) 藤本義一

番組ID
R01150
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
1995年12月17日(日)22:20~23:02
時間(分)
42
ジャンル
adaptive_audio_micトーク・ワイドショーschool教育・教養
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
概要
幅広い分野から講師を迎え、日本語をユニークな視点から捉える「私の日本語辞典」。4回シリーズで大阪出身の作家の藤本義一さんが大阪の言葉について語る。第3回は「ファジーの魅力」と題して送る。聞き手は秋山和平。

同じ年代の公開番組

録音でつづる戦後50年 もはや戦後ではない(1956年)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「もはや戦後ではない」。ゲストに東京地婦連事務局長の田中里子さんを迎えて1956年を振り返る。◆昭和31年、日本とソ連との交流が回復し、シベリアから抑留者を乗せた引揚船が次々と入港、東海道線が全線電化、アメリカの女優グレース・ケリーがモナコ王妃になるなどの話題があった年である。経済白書で使われた「もはや戦後ではない」がこの年の流行語となった。「神武景気」などと呼ばれ日本経済は高度成長へと方向づけられたが、庶民の生活はまだ貧富の差が激しく、エンゲル係数は50%以上、国鉄やお米の値上げが続くなど、決して「もはや戦後ではない」という言葉が当てはまる時代にはまだなっていなかった。この言葉は豊かになったという意味ではなく、敗戦という悲観的な考え方をする時代は終わったということなのではなかったのか。◆広島・長崎の原爆から11年が経過、ビキニ環礁では地球上最大規模の核実験が行われた。日本では各地で米軍基地問題が起こり、地婦連をはじめとする複数の婦人会が結束し抗議行動を行なった。8月に日本原水爆被害者団体協議会が結束され、12月には国連にも加盟。核兵器の廃絶・戦争のない平和な世界は、政府間だけの協議では築けない。国と国との架け橋、人々の声と政治の力を合わせて人類の生命や幸福を守ろうという意識が高まった。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
録音でつづる戦後50年 55年体制スタート(1955年)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「55年体制スタート」。1955年(昭和30年)12月30日に放送された「録音ハイライト」をゲストの作家・猪瀬直樹さんと聞きながら当時を振り返る。◆昭和30年は、人気スターであったトニー谷さんの長男を身代金目的で誘拐する事件や、いわゆる帝銀事件の犯人として逮捕されていた平沢貞通容疑者の死刑が確定したり、濃霧の瀬戸内海で紫雲丸が遭難し、修学旅行生など168人が犠牲となる事故や、森永粉ミルクに砒素が混入し乳幼児が死亡する中毒事件など、多くの事件事故が発生した。◆政局は、6年続いた吉田内閣に代わった鳩山内閣において1月24日に衆議院は解散され、選挙の結果、民主党185、自由党112、社会党は右派、左派あわせて全議席の3分の1を占めることとなり、年度後半は保守と革新の2大政党の対立に向って活発な動きをすることとなる。社会党は10月31日の大会で右派と左派を統一し日本社会党を結成。一方、保守合同は総裁問題で難航したが、民主党と自由党による結成大会が開催され、戦後最大の単一自由民主主義政党として自由民主党が誕生した。◆経済面では高度経済成長期に当り、大衆消費社会が拡大していく時代でもあった。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組