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ラジオ番組

第五福竜丸・被爆50周年 ちいさな町・和歌山県古座町からの訴え

番組ID
R02576
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2004年10月31日(日)20:00~20:50
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
和歌山放送(WBS)
製作者
和歌山放送(WBS)
制作社
和歌山放送(WBS)
出演者
語り:中村富子
スタッフ
構成:宇治康子、制作:船越保夫、取材:宇治康子
概要
「第五福竜丸」の前身「第七事代丸」は1947年に和歌山県の南端・古座町で建造された。船大工の一人は「縁起のよい船だった」と言い、後に被爆して東京・夢の島に放置されていた船を見た時には「涙が出た」と振り返る。古座町の加藤国司町長は「広島や長崎と違って小さな町・古座だからこそ平和への取り組みを続けなくてはいけない」と話す。◆第五福竜丸が太平洋でアメリカの水爆実験の「死の灰」を浴びて50年。番組では第五福竜丸の関係者へのインタビューなどを通じて、被爆船建造の地から平和への願いを訴える。

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