テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

ザ・ステージ 文化放送報道スペシャル 小児臓器移植の壁

番組ID
R02659
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年04月21日(木)20:00~20:30
時間(分)
57
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
文化放送(JOQR)
製作者
文化放送(JOQR)
制作社
文化放送(JOQR)
出演者
語り:鈴木純子
スタッフ
構成:石井彰、制作:嶺岸宏枝、技術:奥沢賢一、効果:玉井和雄、選曲:近藤潤、取材:嶺岸宏枝
概要
脳死による小児臓器移植をテーマに2005年4月21日に第1部、28日に第2部を放送。◆第1部「陽佑ちゃんの未来をつなげ」:チリのサンチャゴ市に暮らす日本企業の駐在員の長男、陽佑ちゃん(当時5ヵ月)は、腸捻転により腸のほとんどを失い、臓器移植の道を選ぶしか命をつなぐ方法は残されていなかった。しかし日本での脳死による15歳未満の臓器提供は認められていないため、国内での手術の道は閉ざされていた。移植が可能なアメリカでの手術にかかる費用はおよそ1億円。父親の同僚や友人らは必死で募金活動を行う。医療技術も施設も整った日本で、なぜ手術が受けられないのか。生体間移植手術で自らの肝臓を父に提供した河野太郎衆議院議員は、脳死移植の必要性を訴える。阿部知子衆議院議員は脳死移植を小児まで広げることの危険性を指摘する。そして陽佑ちゃんにいよいよ移植手術のチャンスが訪れた。◆第2章「ドナーへの決断」:脳死による臓器移植手術を受けるために、次々に海外に向かう子供たち。その中に重い心臓病に苦しむ康輝君(11歳)がいた。しかし康輝君は目的地のドイツに着いて間もなく容態が急変し、脳死状態に陥ってしまう。両親は生前の康輝君の意志に従い、ドナーになることを決断。康輝君の腎臓や膵臓などがドイツの子供たちに移植された。1997年に施行された臓器移植法では「臓器を提供する時に限って、脳死が人の死となる」が、脳死を人の死と受け入れにくい考え方や手続きの難しさにより、提供者の数は増えず、小児の患者も救えない。一方国会では有志の国会議員らが、臓器を提供する時の条件を緩和して提供者を増やすための改正案作りを進めているが、脳死判定の難しさが浮き彫りになる。私たちは移植医療と小児の脳死移植にどう向き合い、対処すべきなのだろうか。取材を通して得た番組としての結論をあえて提示する。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第53回報道番組部門優秀)

同じ年代の公開番組

ラジオアーカイブス あの日あの声 音でたどる日本の自画像 第1部 戦前・戦中編

80年目の放送記念日に向けてシリーズで放送された「ラジオアーカイブス・あの日あの声」。この日は二部構成で、ラジオが唯一の放送メディアだった戦前・戦中から敗戦直後の占領期を、放送の歩みをたどりながら振り返る。ゲストは昭和一桁生まれの作家・半藤一利さん、ラジオ史研究家・竹山昭子さん。◆第1部は戦前・戦中編。大正14年に始まったラジオ放送は、野球中継や演芸番組を通して人気を高めていく。戦時中の放送の実態や放送の持つ力も当時の録音を通して改めて考える。番組内で紹介されるのは、昭和天皇即位の大礼(1938年)、学生野球大会準決勝(1933年、中京商対明石中、延長25回)、エンタツ・アチャコの漫才・早慶戦(1935年)、生態放送・ブッポウソウの鳴き声(1935年)、「兵に告ぐ」(1936年、2・26事件の反乱兵への投降呼びかけ)、開戦の臨時ニュース(1941年)、フィリピン沖海戦の大本営発表(1944年)、爆音による敵機の聞き分け方(1944年)、玉音放送(1945年)。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組