テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

あべちゃんトシ坊!こりない二人 南極特集 日産ワイドサタデー&Oh!キュ~ット倶楽部

番組ID
R02758
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年01月15日(土)13:00~17:00
時間(分)
60
ジャンル
adaptive_audio_micトーク・ワイドショー
放送局
RKB毎日放送
製作者
RKB毎日放送
制作社
RKB毎日放送
出演者
スタッフ
制作:永田伊久万、演出:永田伊久万、技術:塩塚実納
概要
“あべちゃん”あべやすみ・“トシ坊”仲谷一志、二人による土曜午後の生ワイド番組。前半が「日産ワイドサタデー」、後半が「Oh!キューット倶楽部」。(1998年10月放送開始)。◆この日のテーマはなんと「南極」。まず南極昭和基地に電話を入れ、隊員の工藤栄さんに南極の現在の天候や研究観察の内容や意義を聞く。次に国立極地研究所名誉教授の神沼克伊さんに南極の基礎知識を伺う。そして「面白南極料理人」の著者である西村淳さんに南極基地の日常生活や人気メニューを教えてもらい、実際にスタジオでその料理を試食する。◆リポーター・中村美由紀は、福岡市天神の街頭で「今までに一番寒かった思い出」を聞き、リポートする。また南極に向かう船上にいる旅行会社社長の田島和江さんに、南極ツアーの魅力や値段を聞く。さらに、南極昭和基地隊長・山岸久雄さんに電話を入れ、仕事の内容や隊員の本音を紹介してもらう。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第53回生ワイド番組部門優秀)

同じ年代の公開番組

くノ一サッカーキックオフ なでしこたちの挑戦

アテネオリンピックで「なでしこ旋風」を巻き起こした日本女子サッカー。日本代表として出場した宮本ともみ選手は、168cmの長身で守備的MF。宮本選手は市民クラブの伊賀FCくノ一に所属し、女子サッカー日本代表唯一の主婦選手だった。朝は夫のお弁当を作り、昼間はケーキ屋でアルバイト、夜は練習という忙しい毎日である。◆日本女子サッカーは、1996年のアトランタオリンピックで一勝もあげられずに予選敗退し、2000年のシドニー五輪には出場できなかった。宮本選手が当時所属していたプリマハムは、シドニーへの出場権を逃したのと歩調を合わせるかのように運営から撤退してしまった。◆スポンサーを失ったチームは市民クラブに移行して再出発した。プロとしての身分を失った選手たちは、養護学校の介助員、保育所の調理員、上野市役所の事務所などに職を求めた。宮本選手はアルバイトをしながらサッカーを続ける道を選び、消防署に勤務する夫と出逢ってゴールイン。家族の理解と協力のもとで、サッカーに全力を傾けることができている。◆アテネオリンピックでベスト8入りした後、宮本選手は妊娠。出産後の選手復帰を目指している。主婦選手から母親選手へと変わる宮本選手、そして、同じく自らの生活を犠牲にしてまでプレーに打ち込む伊賀FCくノ一のチームメイトたち。彼女たちがどんな事を思いながら日々生活し、何を夢を見ているのかを描いていく。


directions_bikeスポーツradioラジオ番組
ラジオアーカイブス あの日あの声 音でたどる日本の自画像 第1部 戦前・戦中編

80年目の放送記念日に向けてシリーズで放送された「ラジオアーカイブス・あの日あの声」。この日は二部構成で、ラジオが唯一の放送メディアだった戦前・戦中から敗戦直後の占領期を、放送の歩みをたどりながら振り返る。ゲストは昭和一桁生まれの作家・半藤一利さん、ラジオ史研究家・竹山昭子さん。◆第1部は戦前・戦中編。大正14年に始まったラジオ放送は、野球中継や演芸番組を通して人気を高めていく。戦時中の放送の実態や放送の持つ力も当時の録音を通して改めて考える。番組内で紹介されるのは、昭和天皇即位の大礼(1938年)、学生野球大会準決勝(1933年、中京商対明石中、延長25回)、エンタツ・アチャコの漫才・早慶戦(1935年)、生態放送・ブッポウソウの鳴き声(1935年)、「兵に告ぐ」(1936年、2・26事件の反乱兵への投降呼びかけ)、開戦の臨時ニュース(1941年)、フィリピン沖海戦の大本営発表(1944年)、爆音による敵機の聞き分け方(1944年)、玉音放送(1945年)。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組