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ラジオ番組

正子さんの青空 星塚65年目の春

番組ID
R02759
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年05月29日(日)23:00~23:59
時間(分)
59
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
南日本放送(MBC)
製作者
南日本放送(MBC)
制作社
南日本放送(MBC)
出演者
スタッフ
構成:新名主聡、演出:新名主聡、制作:御幸良臣、編集:山下浩一郎、取材:新名主聡
概要
正子さんは2001年に全国の注目を集めた「ハンセン病裁判」の原告の1人。それまでの身をひそめるような暮らしから一転し、夫の清さんと共に堂々と法廷に立った。国立の療養所(鹿児島県鹿屋市の星塚敬愛園)で暮らす人が、国を訴える。その逆風の中でも、正子さんは清さんと共に信念を貫く。◆裁判から4年あまり。苦しい日々から正子さんが得たものは「人とのつながり」「社会とのつながり」そして「故郷とのつながり」。今、正子さんは自分に与えられた役割を果たすことが、これからの幸せと考えている。

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戦後60年特別番組 足が生えてこなかった

60年前の1945年、大阪は空襲により「じゅうたん爆撃」にさらされた。アメリカは「戦略爆撃」という航空攻撃により日本人の戦意を喪失させようとし、大阪は日本攻略向けの兵器「B29」と「焼夷弾」によって火の海となった。◆子供にも兵火は及び、命は無事であったものの身体に大きな後遺症を受け、障害を持った人々がいる。足を失った人は、また足が生えてくると信じていたと語る。彼らの後遺症や障害は、物心がついてからは深刻な苦悩となり、言われのないそしりを受ける原因となった。◆彼らは被害者でありながら、軍人や軍属でないという理由から補償や補助もない。当時子供であった彼らが体験した空襲の怖さ、むごさ、そして後遺症、障害のために戦後も続いた苦悩。戦時中より戦後の方が辛かったようだ。◆2005年8月、空襲死没者の名前を刻んだ「平和を願うモニュメント」が大阪に建設される。この建設には被災女性の執念があった。それぞれの心に刻まれた60年という歳月。戦後60年、日本は平和を維持してきた。しかし、この平和はけっして永遠ではない。◆番組は実際に大阪空襲の被害にあった人々を取材し、空襲の恐怖や戦後の苦しみを生々しい肉声で描き出す。ラジオ大阪戦後60年特別番組。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組