テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

報道特別番組 内灘闘争 風と砂の記憶

番組ID
R21334
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年05月26日(月)21:00~21:50
時間(分)
40
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
北陸放送(MRO)
製作者
北陸放送(MRO)
制作社
北陸放送(MRO)
出演者
語り:西川章久
スタッフ
構成:沼田憲和、ディレクター:沼田憲和、プロデューサー:乙村紳一
概要
日本海に面した内灘村(現・内灘町)は、村のほとんどを潟と砂丘地が占める人口約6000人の漁村だった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は日本企業に砲弾を発注し、その性能を検査する試射場が必要となった。内灘村議会、石川県議会をはじめ反対運動が高まったが、内灘村長は補償金などを条件に試射場受け入れを承諾。しかし1953年4月まで4ヶ月の期限付きだった試射場を、政府は永久接収を目論み、継続使用を決定した。対する村民達は永久接収反対実行委員会を結成し、労働組合や学生など全国からの支援を受け入れる。試射が再開されれば永久接収を止められない。6月15日の試射再開前夜、試射場内の権現森の座り込み小屋に向かう一団と警官隊がついに衝突し、反対運動は頂点に達した。翌日試射が再開され、「浜返せ」と叫ぶ“おかか”たちの目前で砲弾が炸裂した。基地はいらないと全国を揺るがした内灘闘争から約60年。内灘村は人口2万7千人のベッドタウンとなった。「風と砂の館」前館長の西尾さんは、「あの頃の人たちは戦争に進むかどうか、ここが分岐点と敏感に感じていた。ボートは後ろを見て漕がないとまっすぐ進まない」と、過去から学ぶことの大切さを訴える。

同じ年代の公開番組

桃山団地は、本日も晴天ナリ 福島からやってきた母と子の3年間

東日本大震災後、福島県の支援を担当した京都府には福島からの多くの人が避難してきた。京都市伏見区の桃山団地に暮らす齋藤さんは、福島市飯野町から3人の子どもと共に避難してきた。高校生の長女は福島で暮らすことを選び、齋藤さんはそのことを尊重しつつも離れて暮らすことに迷い悩んでいる。長男も高校進学の節目を迎え、親子は高校は福島か京都かという選びようのない選択を迫られる。同じく桃山団地に住む西山さんは福島市から移住。伏見大手筋商店街に避難者と支援者、地域の人たちが集える場所「みんなのカフェ」をつくった。この3年間走り続けてきたが、ふと立ち止まると、娘との時間を大切にする余裕もなかったことに気づく。郡山市から避難してきた山田さんはこの春、京都を離れることを決断した。宇治市のNPOで働いたことをきっかけに様々なことに気付き、福島に戻って福島と京都をつなぐ支援をしたいとい目標も出来た。福島から来た3人の母親を軸に、彼女達の悩みと同時に、普遍的な母親としての悩みを追う。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
TOKYO FM特別番組 これからを見つめて ~LOVE&HOPE 3年目の春だより~

東日本大震災の発生以来3年、平日の毎朝放送を続けている復興支援番組「LOVE&HOPE」の特別番組。これまでに出会った被災地の若い世代の足跡をたどり、課題と現実を浮き彫りにしつつ、復興に向かう彼らの声を伝える。◆震災と原発事故の後、福島県大熊町から長女と長野県に移り住んだ木村さんは、持続可能なペンションの開業に奔走しながら、現在も毎月大熊町に足を運び、行方が分からないままの次女の捜索を続けている。木村さんから次女への手紙をパーソナリティが朗読する。また、テレビドラマ「あまちゃん」で一躍注目を集めた岩手県の三陸鉄道から、震災学習列車の模様をレポート。震災が起きた時刻には岩手県釜石市の鎮魂の鐘と共に黙祷を捧げる。最後は岩手県大槌町で震災語り部ガイドを務める高校生の小林さんが、どんな町と自分の未来を心に描いているのか、亡き祖母へ綴った手紙を自身で朗読する。パーソナリティのロバート・キャンベル氏は、「声は力を持っている。東北は遠くにあると感じるが、声でつながることができる」と語る。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組