テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

もう一つの世界遺産 ~人口41人茅葺屋根の村~

番組ID
206564
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年05月29日(日)16:00~16:54
時間(分)
45
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)、北陸チューリップ、スタジオはい!
出演者
ナレーション:坂井志満
スタッフ
撮影:松井隆雄、音声:島村和佳、MA:葛誠司、MA:澤越聡、CG:中沼喜子、ディレクター:柴田恭子、プロデューサー:新田巌
概要
正三角形の茅葺き屋根が並ぶ、世界遺産・富山県南砺市相倉合掌造り集落。全国から訪れる観光客は、初めての人も思わず「なつかしい」と口にする。これまで何度もメディアで紹介されてきたが、それは観光客でにぎわう様子や民宿など“観光地・世界遺産”としての姿がほとんど。一方でこの相倉は、人々の生活の場でもある。冬は積雪3メートルという、厳しい山里の暮らし。村人たちは助け合いながら、茅葺屋根を守ってきた。しかし今、過疎の問題が深刻化している。世界遺産登録当時90人だった人口は、この15年間で40人にまで減った。そんな中、集落に15年ぶりに生まれた赤ちゃん。みんながその成長を見守っている。相倉の人々の日常を見つめることで、失われつつある“どこかなつかしくて温かいふるさとの姿”を伝える。

同じ年代の公開番組

老後の住まい革命

北欧の福祉先進国で一般的な考え「エイジングインプレイス(地域居住)」をキーワードに、様々な環境で暮らす要介護高齢者を取材する。◆自宅の場合、自由があるが夜間や緊急時に不安を残すため、家族の援助が不可欠だ。施設(特養)の場合は、24時間のケア体制で安全面は確保されるが、スケジュール管理された不自由な生活を強いられる。また、画一的なケアによって入居者に依存心が生まれる懸念もある。自宅と施設は、いわば「二律背反」の関係だった。◆そこで、現代の社会福祉における基本理念「ノーマライゼーション」発祥の地で、福祉国家として知られるデンマークを訪ねた。この国は、50%前後の所得税と、25%の消費税で、手厚い社会保障を支えている。かつて特養のような施設整備を進めたことが、社会的入院の増加を生み、高齢者を社会から隔離することにつながった経緯から、「在宅ケア」への移行を図り、ニーズに応じたケアを提供する施策へと舵を切った。◆「自己決定」「残存能力の活用」「住居の継続性」を高齢者三原則に定め、入居者がケアスタッフと対等な関係のもとで自分らしい暮らしを継続できる、様々な高齢者住宅を整備している。首都コペンハーゲンの南西部にあり、福祉サービスが特に行き届いた街、スベンボー市の高齢者住宅にて取材した。◆日本でも「施設」から「住宅」への転換は進み、「高齢者専用賃貸住宅」が制度化された。賃貸借契約で、外部から個別の介護サービスが受けられ、安否確認など生活支援サービスも備える。病気や障害があっても、高齢者が精神的に自立した生活が送れ、生きることを幸せに思える社会の構築が急がれる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
IBC報道特別番組 ―明日への証― 再び大槌の海で

岩手県大槌町の漁師、越田秀一さん。越田さんは震災で養殖施設と3艘の漁船、そして父親・義男さんを失った。唯一の現金収入を得る手段である、雇用対策事業のがれき撤去作業に汗を流す越田さん。先の見えない不安に、わが子への申し訳なさや迷いが頭をよぎる。◆越田さんは震災以降、中学生の娘・華純さんと暮らすようになった。越田さんの離婚で母親と暮らしていた華純さんが「一緒に暮らしたい」と申し出たのだ。「お父さんが一人になってしまったから、手伝って、一緒に漁師やりたいって思った」と話す華純さん。「漁師の背中を見ていたい」。一度は大槌を離れて内陸で暮らすことも考えた越田さんだったが、華純さんの願いは越田さんを再び海へと向かわせた。◆自宅は被災しなかったものの職を失った越田さんには、義援金が支給されない。養殖資材が届くという知らせがあったが、結局届かない。資材が届いても、今度はホタテの稚貝が届かない。日に日に生活は厳しくなっていく。彼の日常は一進一退で、出口が見えない。そうした中、越田さんは気づく。娘を支えるつもりが、いつの間にか自分が華純さんに支えられて震災後を生きているということに…。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
MRO報道特別番組 伝えたい ~命をめぐる3つの物語~

2010年、乳がんの手術をした吉田喜美子さん(62歳)。進行する病と闘いながら、清掃会社の教育係をしている。抗がん剤の苦しみと痛みに耐えながらも、受講生の前では「いつも笑顔が大事」と話し続ける。吉田さんの笑顔は、人を明るくする太陽のようだ。◆2010年春、18歳で亡くなった白潟翔弥君。母・美枝子さんは、死にたいと思うほどの悲しみの中から、再起しようと絵本を描くことを決心した。絵本を作る中で、多くの人が息子を支えてくれていたことに気付く。絵本のタイトルは「お母さん ぼく星になったよ」。息子は星になったけれど、人々の心の中に生きている。出会いの中で元気を取り戻していく美恵子さんの姿を描く。◆2001年、脳幹出血で全身マヒになった宮田俊也さん(44歳)。一生寝たきりと言われていたが、今、車椅子に乗る練習をしている。きっかけは、わずかな指の動きで画面に言葉を表示できる意思伝達装置だった。2010年には友人の協力を得て、著書「月がきれいだと僕はいえるぞ」を上梓。全身麻痺の自分の思いを伝えることで、人としての生きる喜びを取り戻すことができた宮田さん。多くの人にそれを伝えていきたいと意欲に燃えている。◆三者ともに再生へのきっかけとなったのは「伝えたい」という思いだった。彼らの苦難と向き合う姿から、生きるヒントを伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組