テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ふくしまの素顔 ハワイがやってきた ~炭鉱から新たなる挑戦~

番組ID
011747
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2003年02月23日(日)16:55~17:25
時間(分)
29
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
福島中央テレビ(FCT)
製作者
福島中央テレビ(FCT)
制作社
福島中央テレビ(FCT)
出演者
リポーター:本城ゆき、ナレーター:徳光雅英
スタッフ
撮影:大塚敏則、音声:小澤裕幸、VE:堤昭、整音:道音俊夫、ディレクター:石井正通、プロデューサー:吉田伸秋、制作:善積康之
概要
斜陽に苦しむ炭田の街の、日本初のテーマパーク「常磐ハワイアンセンター」への転身を描く。◆120年の歴史を持つ常磐炭田は、1976年、常磐炭鉱西部鉱の閉山をもって歴史の幕を下ろした。しかし、赤字が重なり、炭鉱の存続法が模索されていた時、「あり余る温泉を利用した観光事業はどうか」と発想の転換をした男がいた。当時の常磐炭鉱副社長・中村豊だ。炭鉱の従業員やその家族が猛練習してバンドメンバーや踊り子になり、ハワイアンセンターが1966年にオープン。厄介者の温泉を元に、年間100万人が訪れるテーマパークに生まれ変わった。

同じ年代の公開番組

私は原爆を伝えたかった

戦後58年。被爆体験が風化する中、原爆を落とした側と落とされた側、それぞれの体験者たちは後世に何を伝えたいと考えているのか。関係者の貴重な証言や資料により、原爆投下を日米双方の視点からとらえ、彼らの思いに迫る。◆長崎に原爆を投下したB29パイロットのフレッド・オリビや、観測機の航空士レン・ゴドフレーにインタビュー。様々なトラブルに見舞われた原爆投下までをドキュメントする。積み重なったトラブルによって第1目標の小倉上空への到着が1時間遅れ、その間に厚くなった雲のため目視投下を断念、そして第2目標の長崎へ。その頃、長崎市職員の荒木正人さんはいつものように疎開事務に追われていた。原爆で父親を失い、戦後「長崎原爆戦災史」の編纂に携わった荒木さんの体験を通し、きのこ雲の下の真実を明らかにする。◆番組後半は「情報操作」をテーマに展開する。アメリカは原爆の威力や人体への影響を機密扱いにして、厳しい検閲や情報統制を行った。そのため、原爆の実相は日本人にさえ長く伝えられなかった。原爆投下後、最初に長崎に潜入取材を試みたジョージ・ウェラーの記事は、連合国軍最高司令官マッカーサーによって闇に葬られた。戦略爆撃調査団カメラマンのダニエル・マクガバンが原子野の人々を撮影したフィルムも、機密扱いとなって長く日の目を見なかった。その映像には、著作を通じて反核・平和を訴えた永井隆博士も登場する。永井博士も当時は原爆について自由に書くことが出来なかった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組