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テレビ番組

観光通りに息づく文化 高松の発展を支えた道

番組ID
014413
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放送日時
2004年08月07日(土)09:30~09:59
時間(分)
27
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
瀬戸内海放送(KSB)
製作者
瀬戸内海放送(KSB)
制作社
瀬戸内海放送(KSB)、エイデン
出演者
スタッフ
制作:小野浩二、演出:川田芳仁、撮影:松井洋、音声:笹岡美佐
概要
古くから四国の玄関口として栄えてきた高松。その市内と屋島とを結ぶ一本の道は「観光通り」の名で親しまれている。昭和9年に改修工事に着工され、わずか4年で完成した「観光通り」。高松の発展を支えたこの道を検証する。◆第1次大戦後間もなかった当時、銀行の倒産や労働争議が頻発し、街には失業者が溢れて深刻な経済不況に陥っていた。車道の幅10メートル、歩道幅は2.5メートル、舗装は20センチ厚さのコンクリート。当時の道路建設技術の粋を込めた改修工事には、人々が観光にかけた熱い期待が込められていた。

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