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テレビ番組

立松和平がたどる それからの清正

番組ID
201480
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放送日時
2008年02月16日(土)14:00~14:54
時間(分)
44
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
熊本放送(RKK)
製作者
熊本放送(RKK)
制作社
熊本放送(RKK)、RKKメディアプランニング
出演者
報告:立松和平、落語:春風亭勢朝、語り:江上浩子、語り:大田黒浩一
スタッフ
撮影:中川亮、撮影:橋本広墾、撮影:川口忍、編集:田中健太郎、編集:木下浩、ディレクター:薛力夫、プロデューサー:村上雅通
概要
明治時代に双六に描かれた古今十二傑。その一人として加藤清正がいた。確かに加藤清正は肥後藩を治めた大名として知られる歴史上の人物だが、日本の12人というほどの格別の扱いは、現代では考えられない。そしてまた、加藤清正は江戸時代から親しまれている古典落語や歌舞伎の中にも度々登場している。◆古典芸能や庶民文化の世界を調べていくと、江戸の庶民は加藤清正に理想の武士像を仮託していたことがわかる。そして有名なエピソードである「虎退治」は、清正の死後100年以上経過してから忽然と英雄伝として登場したものだ。さらに明治時代になると、江戸期とは異なるイメージが人々に浸透していった。

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