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テレビ番組

ふくしまの素顔 牧場の朝が聞こえる ~よみがえれ幻の唱歌~

番組ID
201625
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放送日時
2003年06月29日(日)16:55~17:25
時間(分)
29
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
福島中央テレビ(FCT)
製作者
福島中央テレビ(FCT)
制作社
福島中央テレビ(FCT)、福島クリエーティブ
出演者
スタッフ
制作:石山隆、プロデューサー:吉田信秋、ディレクター:石井正通、撮影:冠木孝之、映像:小澤裕幸、音声:仲田滋、編集:堤昭、整音:道音俊夫
概要
文部省唱歌『牧場の朝』のモデルとなっている福島県鏡石町の岩瀬牧場。岩瀬牧場は、明治9年に、明治天皇が東北巡行の際、鏡石・矢吹・須賀川に広がる原野、約2700町歩の開墾を側近に申しのべたことが発端と伝えられる。その後、伊藤博文内閣により、宮内省直営の「宮内省御開墾所」に指定され日本最初の国営牧場となった。◆岩瀬牧場は、日本で最初の欧州式技術を取り入れた牧場としても知られる。明治40年にはオランダから乳牛13頭、農機具が直輸入された。その時にオランダと日本の友好の印としてオランダから贈られたのが『牧場の朝』にも歌われた鐘(平成13年鏡石町文化財指定)である。◆以前から地元では『牧場の朝』は岩瀬牧場をモデルにしているといわれてきた。作曲は船橋栄吉ということははっきりしていたものの、戦前に誕生した文部省唱歌の多くがそうであったように、『牧場の朝』の作詞者が明記されていなかった。これを伝え聞いた、地元の医師・郷土研究家の最上寛が10年の歳月をかけて調査、考証を重ね、作詞者の解明に取り組んだ。大正末期に旧制安積中学(現・安積高校)で岩瀬牧場に関する文章「牧場の暁」という紀行文を発見した。この紀行文は半鐘の音から始まる岩瀬牧場の朝の様子を描いたもので、当時朝日新聞の記者であった杉村楚人冠が記した「ひとみの旅」の中の一文であることが判明した。◆杉村は明治43年12月に岩瀬牧場を訪れており、牧場の初代場長であった永田恒三郎の家に滞在し、牧場の生活を間近に見ながら数日を過ごしている。これらの事実などをもとに、作曲家であり日本音楽著作権協会の教育音楽委員会の委員長を務めていた平井康三郎らの太鼓判を得て、ついに『牧場の朝』が杉村楚人冠の作詞によるもので、岩瀬牧場をモデルにして作られたということが明らかになった。◆番組では『牧場の朝』の作詞家の解明までの過程を追いながら、モデルとなった岩瀬牧場の歴史やエピソードを紹介する。

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