テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

松本清張生誕100年特別企画 疑惑

番組ID
202998
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2009年01月24日(土)21:00~23:21
時間(分)
121
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
テレビ朝日(EX)
製作者
テレビ朝日(EX)
制作社
テレビ朝日(EX)
出演者
スタッフ
原作:松本清張、脚本:竹山洋、音楽:沢田完、TM:監物直、技術プロデューサー:長谷川美和、TD:田代浩、撮影:川田正幸、撮影:熱田大、撮影:長谷川諭、撮影:石井豪、撮影助手:中島祥郎、撮影助手:森栄興、撮影助手:掛橋翔太、撮影助手:和田晋、撮影助手:坂本裕樹、映像:阿部友幸、映像:高橋秀文、映像:山田由香、照明:大賓学、照明:中根鉄弥(マネージメント)、音声:島田隆雄、水中撮影:武田篤、選曲効果:大貫悦男、編集:山本正明、ライン編集:松本英之、MA:古跡奈歩、技術:石久保香織、美術プロデューサー:根古屋史彦、デザイン:山本修身、美術進行:石橋麻穂、衣装:水島愛子、衣装:牧亜矢美、スタイリスト:大迫靖秀、スタイリスト:柏香菜子、ヘアメイク:荒井智美、ヘアメイク:越智雅代、ヘアメイク:森山美智子、ヘアメイク:佐藤光栄、ヘアメイク:鈴木將夫、ヘアメイク:石川亜矢、CG:山本貴歳、CG:戸枝誠憲、特殊効果:釜田智志、車両:太田圭祐(美術)、絵コンテ:関川暁子、演奏:豊田裕子、協力:菊池実(企画)、監修:本山信二郎(法律)、協力:中山博之(金沢弁護士)、編成:三輪祐見子、編成:菊池寛之、宣伝:石野貴、宣伝:西尾浩太郎、HP:中世古裕美、HP:伊藤友二、スチール:森田俊明、ことば指導:濱崎章吾、ことば指導:松永麻里、ことば指導:荒井志郎、指導:佐山雅弘(ピアノ)、カースタント:高橋勝大、車両:佐々木俊彦、演出補:小池哲夫、演出補:岡田昭儀、演出補:山形亮介、演出補:竹下舞、演出補:香坂隆史、制作:中島嘉隆、制作:加藤誠、制作:細谷力、制作:佐々木藤子、制作:中村昌利、協力:舘治佳(金沢ロケ)、コーディネーター:西森央市(金沢ロケ)、記録:斉藤文、ラインプロデューサー:曳地克之、ラインプロデューサー:河添太、プロデューサー補:西原宗実、プロデューサー補:井崎雅子、協力プロデューサー:江平光男、チーフプロデューサー:五十嵐文郎、プロデューサー:内山聖子、監督:藤田明二
概要
保険金目当てに資産家の夫を殺したと疑われる女の弁護を引き受けた国選弁護人が、苦悩しながらも真実を探し、弁護していくダイナミックサスペンス。原作:松本清張、脚本:竹山洋。◆白川球磨子(沢口靖子)は、8億円の保険金を目的に資産家の夫を殺した疑いで逮捕された。新聞記者の秋谷(室井滋)を始めとしてマスコミや世間は、前科があり、暴力団とも関わりがある球磨子が犯人であると騒ぎ立てる。さらに球磨子に不利な証言が続々と出る中、国選弁護人・佐原卓吉(田村正和)は、一度は断った球磨子の弁護を引き受けることに。佐原は事件の真実を追求していく中で、悪女とは違う本当の球磨子の顔を明らかにしていく。◆テレビ朝日開局50周年記念

同じ年代の公開番組

ムーブ 凍土に棄てられて ~シベリア抑留 終わらない戦後~

1945年8月、日本に宣戦布告したソ連は、旧満州などにいた日本人をシベリアに抑留した。「朝起きたら、戦友が死んでいるのです」こう語るのは、鹿児島県に住む川畑正美さん。3年近く、シベリアに抑留された川畑さんは、「シベリア抑留」について国の責任を問う国家賠償訴訟に参加している。◆国家賠償を問う原告の中にもう一人の鹿児島出身者がいる。垂水市出身の石元砂雄さんだ。「生きている間に国の責任を問いたい」と訴訟に参加した。日本政府は、慰藉(いしゃ:なぐさめいたわる事)の念を表す為に、10万円分の特別慰労品を渡す事業を行ったものの、抑留者への謝罪と補償は拒んでいる。「この歳になって時計なんて売るほど持っていますよ。誰のための事業なのでしょう」と語る石元さんは、自らの受け取った旅行券を金券ショップで現金に変えて、訴訟費用にあてている。◆判決が出る際は、大阪へ行こうと考えている川畑さんも「金ではないのです。生き残りも少ないし、謝罪の言葉をききたいだけです」と話す。平均年齢85歳をこえるという抑留者たちに残された時間は少ない。果たして、彼らに救いの手はさしのべられるのだろうか。およそ9万人といわれる抑留者たちの戦後を描く。「JNN九州沖縄ドキュメント・ムーブ」。 


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
MROエコプロジェクト ~廃車は宝の山~

石川県金沢市にある従業員約70人の中小企業「会宝産業」。近藤典彦社長は使用済みの自動車の中古部品を商品として再生するリサイクル事業を展開している。販売先の6割以上はアジアをはじめとする海外の企業で、取り引き先は58か国に及ぶ。世界的な経済不況にもかかわらず、2008年の売り上げは過去最高を達成した。◆22歳で解体業として起業した近藤社長の企業理念は「もったいない」。自動車産業を人間の体に例え、メーカーは車を作り広く普及させる動脈産業で、自動車リサイクルは不要になった物を有効に循環させる静脈産業と位置づける。そして自動車産業の責務として大量生産された商品を再利用する重要性を感じ、中古部品を通じた循環型社会の実現を模索する。◆近藤社長は、リサイクル社会が確立されていないアジア、アフリカ諸国に向けた中古部品の供給に加え、それぞれの国の実情に即した技術提供を行おうとしている。「もったいないの心を世界に」…会宝産業の取り引き先があるタイとモンゴルの現状を紹介し、環境問題に取り組む重要性を1人の中小企業経営者が訴える。報道特番MRO・ECO2プロジェクト。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
映像’09 DNA鑑定の呪縛

2009年5月8日、1990年に栃木県足利市で起こった女児誘拐・殺害事件、いわゆる「足利事件」をめぐり、殺人罪などで無期懲役が確定している菅家利和さんが裁判のやり直しを求めた再審請求の即時抗告審で、DNAの再鑑定の結果、DNA型が一致しなかったことが明らかとなった。これにより、菅家さんの再審が開始される可能性が高くなった。◆足利事件は、1990年5月、栃木県足利市で4歳の女の子が誘拐・殺害された事件で、1年7ヵ月後、いわゆるローラー作戦で菅家さんが逮捕された。決め手になったのは、女児の着衣に付着していた体液のDNA鑑定だった。同様のDNA鑑定が決め手になった事件に、1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が誘拐され、殺害された「飯塚事件」がある。この事件でもDNA鑑定が決め手となり、2年7ヵ月後に1人の男性が逮捕された。両事件ともに、無実を訴えて最高裁まで争ったものの、「足利事件」の菅家さんは無期懲役、「飯塚事件」の久間三千年さんは死刑判決となった。その後、2人は獄中からも無実を訴え続けた。しかし、2008年10月28日、「飯塚事件」の久間さんは福岡拘置所で死刑を執行された。◆DNA型鑑定とは、細胞核の中の染色体にあるDNA(デオキシリボ核酸)を構成している4種類の塩基(アデニン、グアニン、チミン、シトシン)の配列の特徴によって、個人を分類ないし識別するものである。日本の警察によるDNA型鑑定は、警察庁科学警察研究所(科警研)が1989年に導入した。しかし、この鑑定法には実は重大な欠陥があった。◆DNA鑑定という言葉が始めて登場したとき、ある新聞は「100万人から1人を識別する」と書いたほどだった。現在の鑑定技術なら、大げさな表現とは言えないが、当時の鑑定の精度からはとてもありえないことだ。しかし、DNA鑑定は過大に評価され、検察官、裁判官、時には弁護士ですらもその言葉の呪縛から逃れられなかった。そんななかで、冤罪を叫ぶ死刑囚の死刑が執行された。今、遺族と弁護団は「無辜の人間を国家が殺害した」と、死後の再審請求の準備を始めた。亡くなった久間さんの名誉を回復するために。◆番組では、犯人特定の証拠として有効視されてきた導入当時のDNA型鑑定法の欠陥をわかりやすく解説し、2つの事件から冤罪の構図に迫ってゆく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組