テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

笑顔がイイね! in 富士吉田市 / 開局55周年記念

番組ID
203352
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2008年08月30日(土)13:00~13:30
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
山梨放送(YBS)
製作者
山梨放送(YBS)
制作社
山梨放送(YBS)、ファーストビジョン
出演者
スタッフ
構成:内田裕士、撮影:早川隆史、音声:窪田務、音声:保坂貴道、編集:梅津亮輔、MA:大久保達朗、CG:丸茂敦子、スチール:古屋敏之、ディレクター:加藤哲郎、プロデューサー:中島一彦、制作統括:土橋巧、チーフプロデューサー:河野義信
概要
YBSアナウンサーがふるさと山梨を旅して、見どころや名物、そこに暮らす人々を紹介する。山梨放送開局55周年記念番組。◆今回旅するのは、富士山のふもとの富士吉田市。甲斐絹をルーツとする吉田の“おしゃれ”や、地元に根付いたスイーツ、バーを紹介。さらに富士登山に挑戦。江戸時代から続く山小屋で笑顔に出会う。

同じ年代の公開番組

描きかけのスケッチ ~崩れた栗駒(やま)に生きる~

スケッチの途中で、地震により失われた風景。描きかけのスケッチに向きあう日本画家の姿を通し、生き抜く人間の強い意志を描く。◆標高600メートルほどに位置する宮城県栗駒山の耕英地区は、夏は厳しい陽射し、冬の積雪は2メートルにもなり「人は住めない」とまで言われた厳しい自然環境だった。100人ほどが暮らしていたその土地を、2008年6月に大地震が襲った。避難指示が出され、住民たちは土地を追われた。崖の上に奇跡的に残った家には、日本画家の能島和明さんが住んでいた。大崩落は、わずか20メートル先まで迫っていた。能島さんは「厳しくも美しい自然に身を置いて風景画を描きたい」と1996年に関東から移り住んだが、人命さえ奪った今回の自然の厳しさに打ちひしがれ、筆を持てなくなった。地震の直前に描いていたスケッチは、家の窓から見えたお気に入りのブナ林の風景。色を塗っておらず、まだ描きかけだった。しかし、その風景は地震で崩落し、なくなってしまった。地震から半年が過ぎ、能島さんは描きかけのスケッチに向き合った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
素敵な宇宙船地球号 北上する海の悪魔 ~温暖化と猛毒の恐怖~

2007年6月、大阪で奇怪な食中毒が起きた。釣ってきた魚を食べた一家ら9人が激しい下痢や嘔吐に襲われ、「冷たい水を触ると電気が走る」などの症状が半年以上も続いたのだ。「シガテラ中毒」と呼ばれる世界最強の食中毒。亜熱帯以南でしか発生しなかったものが、なぜ本州で起きたのか。◆沖縄ではオニヒトデが大量発生し、サンゴを食い荒らすという異常事態が起きていた。オニヒトデは1匹で数千万個の卵を産み、放置しておくと大増殖してサンゴを死滅させる。それはシガテラ中毒の発生を拡大させることに直結する。オニヒトデの幼生は黒潮に乗って本州に到達することがシミュレーションで確認された。実際に和歌山と沖縄のオニヒトデはDNAが一致。つまりオニヒトデが北上、増殖してシガテラ中毒発生に繋がる悪夢の連鎖が、本州でも起きたことになる。◆伊豆七島の三宅島でも大量のオニヒトデが見つかった。このままでは悪夢の連鎖が日本列島を包み込んでしまう。温暖化で変わりつつある海の環境は、わたしたちの食文化をどのように変えてしまうのだろうか。海洋ジャーナリスト・永田雅一氏が多角的に取材する。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
メ~テレドキュメント 作られた顔 私たちが伝えた「中国」

32年前、完成していたにもかかわらず放送を中止したドキュメンタリー番組「中国の顔 次の世代へ~引き継ぐ者の証言~」。文化大革命期の中国を取材したシリーズの最終章だ。なぜこの番組の放送を中止せねばならなかったのか。今の報道局員の「私たち」がかつての取材地、取材相手を訪ね、その謎を解き明かしていく。◆当時の名古屋テレビは、内外のメディアに先駆けて中国の単独取材を実現させていた。かつて社会主義の理想と報じた村は、今は大きく姿を変えていた。当時の女性リーダーは、その時代の異様さを淡々と語る。さらに当時のディレクターを伴って現地を再訪した。「当時の取材は“作られた顔”に触れただけだったのでは」インタビューした相手の本音を聞き出せていたのか、確認するためだ。32年ぶりに再会した相手は、当時の取材の裏側とともに、徐々に本音を語ってゆく。そして当時「放送中止」とした番組に登場した女性にたどりつく。熱く?小平批判を語った彼女は、中国を代表する大会社の副社長になっていた。「?小平さんを尊敬します」そう語った彼女は32年前の自分の姿を見て顔色を変えた。「これは本心ではない!」。だとすれば、当時の番組は、何を取材し、何を伝えていたのか?私たちは、取材を担当した先輩ディレクターに尋ねることにした。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組