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テレビ番組

テレメンタリー2008 負けてたまるか! ~国と闘う町長の決断~

番組ID
203536
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放送日時
2008年04月06日(日)01:00~01:30
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事
放送局
ABCテレビ(朝日放送)
製作者
ABCテレビ(朝日放送)
制作社
ABCテレビ(朝日放送)、クロマ
出演者
ナレーション:杉山裕子
スタッフ
撮影:藤田和也、編集:駒井健一郎、整音:松川智実、協力:相川俊英、ディレクター:小西透、プロデューサー:矢島大介
概要
2003年春、福島県の小さな町の役場に町民がつめかけた。5期20年勤めた町長を、涙ながらに慰留する人たち。彼が成し遂げたものは何だったのかを追う。◆2001年、市町村合併を促進した国の“大号令”に反し、全国でいち早く「合併しない宣言」を行った福島県矢祭町。しかし人口わずか7000人でこれといった産業もない小さな町が独立独歩でやっていける具体策はなく、昭和30年の合併時に起きた町を割る騒動を繰り返したくないがための宣言だった。町職員は町長に直訴、壮絶な改革が始まった。根本町長(当時)はまず自らの含む特別職の報酬を3割カット、役場の嘱託の廃止など徹底したコスト削減を断行した。しかし職員の給与には手をつけなかった。職員も自ら改革し「役場の年中無休」などコスト削減で低下するはずの住民サービスを逆に全国一のレベルにまで向上させた。議会も応えて18人の定数を10人に削減、3000万円を削減した。町自立への役場の愚直な努力は、さらに全国30万人の善意の協力までも引き起こす。辞意を撤回した町長に応えるために、町民もボランティアに精を出す。そしてとうとう町の悲願だった図書館の設立に踏み出した。町民ひとりひとりが「自立」するに至った、矢祭町の6年を描く。

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吉田富三は明治36年(1903年)2月10日、当時の浅川村本町に造り酒屋の長男として生まれた。東京帝国大学医学部を卒業、病理学を専攻、世界で初めて科学物質によってラットの肝臓に人工がんの生成に成功した。この研究はのちにイギリスのE.L.ケナウェイらの研究と共に、発がん性化学物質を究明する糸口をつくった。この功績により昭和11年、帝国学士院恩賜賞を受賞し、昭和18年6月には、がん細胞の究極の姿とも言われる液状のがんをラットの腹水から発見した。いわゆる「吉田肉腫」と呼ばれる生きたままのがん細胞である。吉田肉腫の発見によって、がんの化学療法への新しい道を開いた。◆吉田富三はがん研究にとどまらず「人間が病気になるということは、身体だけではなく心も病んでいるのだから、その心にまで温かい手を差し伸べるのが、真の医者だ」という考え方から、医療制度の改革にも取り組み、医師の在り方などについての問題提起をするなど力を尽くした。また文部省の国語審議委員として、戦後の国語政策を正道に戻すための発言と活動を繰り広げた。吉田富三博士は文化勲章、勲一等旭日大綬章を受章するなど、大いなる功績を残し、昭和48年4月27日、70歳で世を去った。◆平成5年には、故郷、浅川町に『吉田富三記念館』が建設され吉田富三博士の顕彰事業として毎年、財団法人浅川町吉田富三顕彰会と日本癌学会が共同して、日本の癌研究に功労のあった人に「吉田富三賞」を贈っている。また県内の小学生を対象とし「吉田富三子ども科学賞」を制定して「理科研究の優れた小学生」に賞を贈っている。


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