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テレビ番組

少年たちは戦場へ送られた / 第24回民教協スペシャル

番組ID
204723
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放送日時
2010年02月11日(木)16:00~16:54
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)、民間放送教育協会
出演者
語り:吉岡秀隆、ナレーション:山根基世
スタッフ
撮影:原隆、撮影:張世君、音声:滝沢義三、音声:張文生、取材:池上英樹、CG:清水瞳、編集:和田秀一、MA:浜元瑞樹、撮影:手塚孝典、取材:手塚孝典、構成:手塚孝典、プロデューサー:田中哲郎、プロデューサー:川端信晃
概要
終戦の一年前である1944年(昭和19)6月に、満州へ送り出された少年たちがいた。満蒙開拓青少年義勇軍・頓所(とんどころ)中隊、長野県で集められた総勢200人である。その多くが14歳・15歳だった。「満州に行けば地主になれる」、貧しい農家で生きる手立てのない子どもたちは希望に燃えて渡満した。しかし、待っていたのは余りにも酷い運命だった。◆2009年夏、当時を生き抜いた人々が、中国へ最後の慰霊の旅に出た。そこでかつての少年たちは、初めて苛酷な体験を明らかにする。そして消息のわかっていない中隊長の足跡を、娘が必死に辿る。さらに現地の中国人の証言や当時の資料などから、知られざる戦争の事実が明らかになっていく。番組では当事者の高齢化が進むなか、記録し語り継がなければならない戦争の歴史がまだ残されていることを訴える。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第58回教養番組優秀)、ギャラクシー賞(第47回奨励賞)

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