テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ジョン万次郎 琉球へ

番組ID
205111
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2009年05月28日(木)15:59~16:54
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
沖縄テレビ放送(OTV)
製作者
沖縄テレビ放送(OTV)
制作社
沖縄テレビ放送(OTV)
出演者
スタッフ
構成:山里孫存、構成:キャンヒロユキ、技術:喜屋武勇、美術:宮里樹、広報:竹場亜麗、選曲:知念栄太、題字:我那覇勉、編集:宮良貴史、CG:森田祥悟、コーディネーター:宮国訪香子、演出:岸本司、撮影:大城学、録音:松島望、撮影:玉那覇正樹、制作:石田玲奈、スタイリスト:友寄みずの、スタイリスト:濱島いずみ、スタイリスト:濱島俊勝、スタイリスト:山里リサ、撮影:古謝有智、録音:田原隆広、ディレクター:山里孫存、プロデューサー:山口栄健
概要
江戸時代末期、漂流の末に未知の大国・アメリカへ渡り、日本人がまだ見たこともない近代文明を体験した中濱万次郎。彼は高等教育を受け「ジョン・マン」と呼ばれ、海の男となり捕鯨船に乗って七つの海を渡った。しかし10年後、万次郎はまだ鎖国という殻にこもっていた故郷・日本へ帰る決心をした。◆番組ではジョン万次郎に強い共感を覚えるという俳優・川平慈英がナビゲーターとなり、万次郎ゆかりの地を訪ね歩いて歴史の謎解きに挑戦する。なぜ万次郎は命をかけて日本へ帰ろうと思ったのか、そしてなぜ「琉球」を目指したのか。川平慈英は様々な場所でたくさんの人に出会い、ジョン万次郎の人物像へと迫っていく。英題「John Mung Ryukyu-bound」

同じ年代の公開番組

テレメンタリー2009 45年目のハネムーン ~病室からタイへ… 覚悟の巡礼~

2009年6月、病院で点滴を受けるひとりの女性がいた。藤原佳子さん79歳、肝硬変で倒れて3年あまり。何度かこん睡状態に陥ったり、肝臓の腫瘍の除去手術も受けたりもした。点滴で命をつないでいるような状態だ。◆佳子さんは夫の元陸軍通訳・永瀬隆さんとともに、泰緬鉄道の犠牲者の慰霊とタイへの「恩返し」に取り組んできた。太平洋戦争中、日本軍がタイとビルマの間に建設した泰緬鉄道では、1万3千人の連合軍捕虜と数万人のアジア人労務者が過酷な労働と栄養不足、コレラや赤痢などの蔓延で死亡した。永瀬さんは終戦直後、連合軍の墓地捜索隊に同行を命じられ、鉄道沿線で遺骨の確認に従事した。また1946年に復員する際、タイ政府は12万人の日本兵全員に米と砂糖を支給してくれた。永瀬さんの活動はこの2つの経験が動機となっている。佳子さんは兄をビルマで亡くした。母から兄の慰霊を命じられていた佳子さんは、永瀬さんと共に戦争犠牲者の慰霊に生涯を捧げることを決意した。◆1964年に一般日本人の海外渡航が自由化されると、夫婦は直ちにタイへの巡礼に赴いた。これが2人にとってのハネムーンだった。翌年からはタイ人留学生を自宅に受け入れ始める。元捕虜との和解の再会計画を実現し、「クワイ河平和基金」を設立して看護学生に奨学金を贈るなどの活動を、二人三脚で続けてきた。◆2008年「最後の巡礼」を済ませた永瀬さんに、佳子さんは「どうしても」と再度のタイ訪問を望む。かばんには主治医が持たせてくれた点滴の処方と薬。入院先の病院を抜け出して、135回目の「ハネムーン」が始まった。2人は「45年目のハネムーン」を無事終えて、大願を成就することができるのだろうか。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組