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テレビ番組

HABひと物語 贖罪の途中

番組ID
206581
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放送日時
2011年05月27日(金)02:20~02:50
時間(分)
28
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
北陸朝日放送(HAB)
製作者
北陸朝日放送(HAB)
制作社
北陸朝日放送(HAB)、放送技術社
出演者
ナレーション:上野雅美
スタッフ
撮影:野田祐介、編集:野田祐介、CA:浜崎功、音響効果:山崎克哉、MA:山崎克哉、タイトル:内薗聡、ディレクター:佐藤文香、プロデューサー:北村真美
概要
福井県坂井市・東尋坊、自殺防止のパトロールで「命の番人」として知られる茂幸雄さん。茂さんが大切に保管している一通の手紙がある。手紙の送り主は、前科2桁の元ヤクザ・神崎忠久さん。神崎さんは9年前に足を洗い、今は福祉施設で働く。子どものころから非行を重ね、自殺を図ったこともある神崎さんだが、その手紙に書かれていたのは「周囲の関わりの重要性」という言葉だった。◆神崎さんが罪を重ねて収容された富山刑務所では、塀の中だけで受刑者に向けた放送番組が流れていた。寺の住職がDJを務めるその番組は、今も神崎さんの心に残っているという。出所した後、神崎さんは徐々にそれまでいた世界に嫌気がさしていった。苦労の末、足を洗った神崎さんを採用してくれたのは、タクシー会社。その職場が現在の職に就くきっかけともなり、少しずつ居場所が出来始めた。◆支えてくれる周囲の人を裏切ってはいけないという意識から、罪を犯すことはなくなった神崎さん。自分の生き方を振り返り、贖罪の言葉を口にする。

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