テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

一志相伝スペシャル 復活!ニッポンのモノづくり ~OSAKA発からくり師親子の挑戦~

番組ID
206645
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年03月17日(土)16:55~17:25
時間(分)
24
ジャンル
school
教育・教養
放送局
ABCテレビ(朝日放送)
製作者
ABCテレビ(朝日放送)
制作社
ABCテレビ(朝日放送)、エー・ビー・シーリブラ
出演者
スタッフ
構成:土屋幸喜、構成:折原麻理、構成:谷口昭子、構成:鎌塚百美、CAM:筆野泰信、CAM:海渡敬介、CAM:大森浩一、編集:岡田勉、MA:鷹野智志、音響効果:三木直彦、宣伝:靭涼子、ディレクター:堀正義、プロデューサー:竹島和彦、プロデューサー:坪内大輔、チーフプロデューサー:横山知彦
概要
伝統の技を受け継ぐ匠の親子を紹介するミニ番組シリーズのスペシャル。「親」でありながら「師匠」、「息子」でありながら「弟子」、それぞれの目線で技能と志を伝承する様を描く。◆からくり人形は、ぜんまいの動力だけで弓を射たり筆で文字を書くなど、まるで生きているかのような複雑な動きをする。それは日本が誇る「手技の結集」ともいえるが、その伝統は時代と共に衰退してしまった。そんなからくり人形の伝統文化を現代に甦らせた職人が、大阪府寝屋川市にいる。山あり、谷ありの「伝統復活」に挑んだからくり職人親子、東野進さんと秀規さんを取材し、その情熱と親子の絆を描く。

同じ年代の公開番組

農ガール☆かなやん奮闘記 ~大卒女子の挑戦!過疎地改革~

東京の大学を卒業した“かなやん”こと坂下可奈子さんは、2011年2月、決まっていた就職を断り、豪雪で知られる新潟県十日町市の山間地、池谷集落に単身移住してきた。池谷集落には6世帯13人が米を作り暮らしている。住民のほとんどが65歳以上の高齢者。いわゆる「限界集落」と呼ばれている地区だ。しかし、人々は農業に誇りをもって元気に生きている。坂下さんはそんな集落の人たちの素朴で純粋な生き方に魅せられて、新規就農者として集落への移住を決意した。◆それまで農業とは縁のなかった彼女にとって、就農の道は試練の連続。しかし初めて自分が育てた野菜の収穫にこぎつけた時には、これまで経験したことのない喜びを味わった。ただ、一人でできることの限界も感じ、たった一人での暮らしは時に寂しくなることもあった。それでも集落の人がいつも気にかけてくれることが、彼女の心の支えになっている。集落の人たちにとってもまた、彼女の存在は希望の光なのだ。◆集落の存続に向けて、新規就農者であり、集落の後継者でもある坂下可奈子さんの奮闘の1年間を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
RBCザ・ニューススペシャル みずほの日々 精神障害者とともに生きる

沖縄県那覇市の福祉作業所「就労支援センター・みずほ」。伊集滝美所長は精神障害者たちの生きづらさや苦労、楽しさ、喜びに日々寄り添っている。「みずほ」の人たちが繰り広げる毎日のドラマを見つめる。◆「みずほ」メンバーの直子さんは、よく気持ちが不安定になり、リストカットを繰り返す。痛々しい切り傷を見せられた伊集さんは「また切ったの?」などと軽くあしらうが、直子さんの不安が時として本格的な自殺願望に変わることもあり、目が離せない。死にたい気持ちに苛まれてどうしようもなかった時、夜中でも電話で話し合ったという2人の関わりは、重荷をともに背負う姿そのものである。◆由美さんは閉鎖病棟に10年も入院している。症状は安定しているが、地域の受け皿が無いために退院ができないという典型的な社会的入院だ。彼女が将来の退院を見据え、外の空気に少しずつ慣れようと「みずほ」に週2回通うことになった。「みずほ」では入院中の由美さんを事業所の利用者として登録できないので、行政からの支援は受け取れない。それでも伊集さんは「病棟暮らしを余儀なくされている人が、一人でも多く地域に出られれば」と受け入れを決めた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
FBCスペシャル2012 共生の苦悩 ~福島第一原発事故から1年~

福島第一原発の事故は国内最多の14基の原発が立地する福井県にも大きな衝撃を与え、事故から1年が経った今も原発と共生してきた住民の心を揺さぶっている。◆運転開始から40年が経過した原発がある福井県美浜町。古い原発を廃炉にして、新しい原発を造るリプレース構想が浮上していた。地域はこの先も半世紀にわたって原発と共生していくかどうか、将来を見据え始めた矢先に福島の事故が起き、住民は改めて「原発のリスク」を見せつけられた。将来が見えない不安に加えて、脱原発依存を打ち出した国に対するやりきれない思いも漂う。◆いずれも海岸沿いの過疎地に造られてきた原発。敦賀半島の先端にある集落には、高速増殖炉「もんじゅ」がそびえ立つ。陸の孤島と言われた集落には道路や港が出来て、原発は若者の働き場所となった。集落に暮らすお年寄りの記録には「過疎からの脱却」と「国策への協力」の文言が残っている。原発との共存共栄でふるさとを発展させようとした地域の思いがにじむ。◆福島の事故を受けて、停止した原発の再稼働はストップした。福井県内でも33年ぶりに「原子の灯」が消えた。地域経済や雇用など、原発と生活が密接な関わりも持つ立地地域には大きなダメージとなる。定期検査中に原発の作業員を受け入れる宿泊業者も今後への不安を隠せない。一方、早期の再稼働を求める地元の建設業者は「我々がカネの亡者ように見られるのは悲しい」と呟いた。◆40年余り原発と共生してきた地域の思いをよそに、原子力に対する批判は高まり、電気を送り続けてきた関西の消費地からも原発再稼働に対する反発の声が上がる。原発に対する不安や、原発と生活が深く関わる現実、それに電力供給を担ってきた自負など、様々な思いが交錯し、自問自答を続ける地元住民の姿を追う。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
金曜プレステージ 自衛隊だけが撮った0311 ―そこにある命を救いたい―

2011年3月11日、報道機関もその被害状況がつかみ切れていない中、いち早く被災地で活動を開始した自衛隊。地震から1年、彼らは被災者に感謝され、慕われており、多くの国民が被災地での自衛隊の活動を高く評価している。しかし、その活躍の裏にある隊員たちの苦悩を知る者は少ない。◆番組では、震災派遣された部隊を訪ね、これまで語られることのなかった隊員たちの胸の内を取材する。彼らは震災にどう立ち向かい、どんな困難と向き合い、何に苦しみ、何に涙をこらえて任務を遂行したのだろうか。特別に公開された自衛隊の記録映像を中心に、被災地や全国の駐屯地・基地で取材した映像、さらには自衛隊の協力で撮影したヘリコプターによる救出作戦などの再現映像を交えた構成で送る。◆東日本大震災。未曾有の被害をもたらした災害に対し、「想定外」を言い訳にしない彼らの活動。そこには“地震大国”日本に暮らす誰もが学ぶべき姿がある。地震発生直後から始まった知られざる自衛隊史上最大のオペレーションの全容を明らかにする。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
車椅子で大陸に挑む ~元暴走族シンガーのアメリカ横断~

暴走族の問題児が交通事故で一転、車椅子生活に。「死」ばかり考える日々から救い出してくれたのは音楽だった。車1台、ギター1本で決行した日本縦断ライブの旅。森圭一郎は「旅するシンガーソングライター」として各地で歓迎され、多くの取材も受けた。しかし、常に頭をよぎるのは「車椅子」という同情。恵まれた現状に甘えないため、自分の殻を破るため、そして旅をして一生歌い続けるため、森は音楽の聖地アメリカ行きを決意する。◆東日本大震災で、自由のきかない森は恐怖に怯え、その気持ちを募らせていた。何度もチャリティーライブを行い、東北に義援金を届けた。そして震災から1年後、被災して命を落とした親子の絆を1曲の歌にした。森はその歌を胸に、同時多発テロの悲しみが今なお残るアメリカに向かう。◆多くの民族が歌うことで困難を乗り越えてきた音楽文化の国アメリカ。「車椅子」という免罪符が通用しない本場で、自分の音楽がどこまで通用するのか。森は新たな自分を発見するため、ニューヨークからロサンゼルスまで43日間のアメリカ横断ストリートライブを実施した。決して思い通りとはいかなかったものの、森の歌はアメリカの地で多くの感動を与えた。◆そして帰国後、森圭一郎は被災地石巻で子ども達を前に歌い、アメリカで感じた思いをメッセージとして届けるのだった。


cinematic_blurドキュメンタリーmusic_note音楽tvテレビ番組