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テレビ番組

笑いの湯 ~29世帯の共同風呂~

番組ID
207439
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放送日時
2012年05月21日(月)10:30~11:25
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
テレビ金沢(KTK)
製作者
テレビ金沢(KTK)
制作社
テレビ金沢(KTK)
出演者
語り:久米明
スタッフ
撮影:白澤友朗、編集:白澤友朗、音声:飯田亮、タイトル:中村真澄、ミキサー:浜口崇、音響効果:増子彰、ディレクター:佐藤優子、プロデューサー:金本進一
概要
石川県かほく市の小さな集落、64世帯246人が暮らす鉢伏地区は、過疎化と高齢化が進む日本の典型的な田舎。しかしここには集落の人たちが胸を張って誇れるものがある。それは住民が大正時代から運営してきた共同風呂。同じような共同風呂は戦後しばらく全国各地にあったが、家庭風呂の普及や掃除当番などの負担の重さから次々と姿を消し、今では鉢伏が最後の1軒となってしまった。一体なぜ、ここだけ共同風呂が残ったのか。番組では、90年近くもの間、自分たちの手で共同風呂を守ってきた住民たちを取材。そして、世の中を力強く生き抜くすべや地域の宝、人々の結び付きの素晴らしさを見つめる。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第60回エンターテインメント番組優秀)、「地方の時代」映像祭(2012選奨)

同じ年代の公開番組

ボーンマンの約束 ~遺骨収容人 70年目の真実~

その壮絶な生き様から、近年オーストラリアで共感を呼び、「ボーンマン」(遺骨収容人)として広く知られている元日本兵、西村幸吉さん92歳。西村さんは1941年、高知市に駐屯地を置く、日本陸軍直轄の特殊部隊「南海支隊」の一員として戦地ニューギニアに出兵。そこは日本兵10数万人が亡くなった苛酷な戦地だった。厳しい戦況に追い込まれる中、日本軍は撤退を余儀なくされる。怪我や飢え、マラリアなどで置き去りにされる多くの戦友たち。その戦友に西村さんは「必ず、お前たちの骨を拾い、日本に届ける」と約束した。◆復員後、西村さんは機械設計の会社で成功するものの、還暦を迎えた頃、戦友との約束を果たすためだけに社会的地位や幸せな家庭までも捨て、パプアニューギニアへ移住する。パプアニューギニアでの日本兵の遺骨のほとんどは戦地に放置されたままだった。ひどい場合は、欧米観光客の見世物にされていた。このままでは戦死した仲間が報われない…。西村さんは国に代わって戦友の遺骨を探し続け、これまでに少なくとも600体以上の遺骨を掘った。◆オーストラリアではいま、生涯をかけ戦友の遺骨を拾う西村さんの生き様を、高校生が授業で学んでいる。オーストラリア兵の視点だけでなく、日本兵の立場からも戦争の歴史を見つめ、同じ過ちを繰り返さないようにという考えからだ。高校生たちは、個人で遺骨収集を行う西村さんの姿に驚き、感銘を受ける。◆2011年7月、西村さんは恐らく最後となるだろうパプアニューギニアの慰霊に遺族らと訪れた。戦友との約束にけじめをつけるため、また数少なくなった戦争体験者として戦争の事実を語り伝えたいと考えたからだった。西村さんがなぜ、戦友との約束を守ろうとしたのか。彼にとって「約束」とは何か…。そこには70年目にして明らかになった、彼と戦友との命をかけた重い真実があった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
テレメンタリー2012 “3.11”を忘れない20 闘う先生

福島県南相馬市の産婦人科医・高橋亨平さん73歳。周りの人たちは尊敬と親しみを込めて「センセイ」と呼ぶ。東日本大震災・原発事故後、市内のほとんどの病院が閉鎖する中、センセイは南相馬に残って診察を続けた。他の病院が閉まっている上に、震災による体調不良やストレスで患者は増加。内科や成人病、精神科まで、センセイは自分を頼って訪れる患者たちを診てきた。◆しかし妊婦の数は激変。放射能を恐れ、ほとんどの妊婦が南相馬市を離れた。月に20件以上あったお産は、月1件のペースに落ちた。「子供の生まれない街に未来はない」そう話すセンセイは、行政に先駆けて妊婦の家の除染に乗り出した。必要な道具を自費で購入し、同じ志を持つ仲間とともに除染を続けた。「行動することが一番大事」とセンセイは言う。◆南相馬市の復興を目指すセンセイに更なる試練が襲い掛かる。ガンがセンセイの体をむしばんでいた。主治医からレントゲン写真を見せられたセンセイは、余命半年と自らを診断した。放射能にガン。闘う相手は増えるばかりだが、センセイは歩みを止めない。抗がん剤を打ちながら診察と除染を続ける。(「いつ死んでも悔いが残らないように、一日一日を精一杯生きる」そう言い続けたセンセイは、2013年1月22日に天国へ旅立った。)


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
悲しみを背負って 明かされぬビル倒壊の真相

2011年2月22日、ニュージーランド・クライストチャーチ市を襲ったマグニチュード6.3の地震。その瞬間、CTVビルが倒壊し、ビル内で語学研修中だった富山外国語専門学校の学生12人が犠牲となった。この地震で倒壊した鉄筋コンクリートのビルは2つだけ。地震による犠牲者の3分の2は、CTVビルの倒壊によるものだ。◆あれから1年。遺族たちは肉親を亡くしたCTVビルの跡地にようやく足を踏み入れることができた。「なぜ、CTVビルだけが倒壊したのか…」「倒壊は人災ではないのか…」。かけがえのない家族の思いもよらぬ死を、遺族は1年経っても受け入れることができない。◆ニュージーランド王立委員会が倒壊原因の調査を始めたが、報告は先延ばしにされた上に、遺族が何度も提出した質問状には何の返答もない。これに先立ち、ニュージーランド政府の建築住宅庁は「CTVビルは建設当時の基準を満たしていなかった」との調査結果を公表している。取材班はビル設計当初に市の職員が設計会社に送付した文書を入手した。内容には設計の不備を指摘する一文があり、今見ればビル倒壊はあたかも人災であるとうかがわせるものだった。◆東日本大震災の衝撃の中で忘れられがちなニュージーランド地震の悲劇。CTVビルはなぜ倒壊したのか。だれの責任といえるのか。番組では、明かされないビル倒壊の謎を追いながら、遺族の思いをつづる。


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