テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

広島 そして新藤兼人

番組ID
207569
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年08月15日(水)16:48~17:45
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
中国放送(RCC)
製作者
中国放送(RCC)
制作社
中国放送(RCC)、近代映画協会、RCCフロンティア
出演者
新藤風、ナレーター:青山高治
スタッフ
監修:新藤風、撮影:砂山浩、撮影:上野勲、音響効果:竹林地あゆみ、デザイン:中井大己、EED:中島俊明、EED:上野徹、MA:赤松克彦、MA:原田岳司、編集:大島園子、構成:松林美妃、AD:増田み生久、制作統括:畑和行、ディレクター:若林弘美、プロデューサー:城雅治
概要
晩年の新藤兼人監督と2人で生活していた孫娘の新藤風(かぜ)。監督の死去後、彼女は大きな喪失感に襲われていたが、49日の法要が終わった後、自分の心を整理しようと監督のふるさと、広島への旅に出た。◆訪ねたのは、監督の生家をはじめ、映画のロケで使われた瀬戸内海の島々など、監督ゆかりの土地。そこで監督と親交のあった多くの人々に出会う。旅を通じて再確認したことは、監督がふるさとの原風景や母親をこよなく愛していたこと。そして、幼い頃の大切な思い出を原子爆弾が破壊したことに、大いなる怒りを感じていたことだ。◆番組では、RCC中国放送に残る貴重なアーカイブ映像、生前の監督が原爆への激しい怒りを語るインタビューや、「原爆の子」など監督の作品を盛り込み、戦争に対する監督の貴重で示唆に富む発言を紹介。孫娘が監督を「再発見」する旅とリンクさせながら、映画にかけた新藤兼人の「執念」を伝える。RCC開局60年特別番組。

同じ年代の公開番組

ボーンマンの約束 ~遺骨収容人 70年目の真実~

その壮絶な生き様から、近年オーストラリアで共感を呼び、「ボーンマン」(遺骨収容人)として広く知られている元日本兵、西村幸吉さん92歳。西村さんは1941年、高知市に駐屯地を置く、日本陸軍直轄の特殊部隊「南海支隊」の一員として戦地ニューギニアに出兵。そこは日本兵10数万人が亡くなった苛酷な戦地だった。厳しい戦況に追い込まれる中、日本軍は撤退を余儀なくされる。怪我や飢え、マラリアなどで置き去りにされる多くの戦友たち。その戦友に西村さんは「必ず、お前たちの骨を拾い、日本に届ける」と約束した。◆復員後、西村さんは機械設計の会社で成功するものの、還暦を迎えた頃、戦友との約束を果たすためだけに社会的地位や幸せな家庭までも捨て、パプアニューギニアへ移住する。パプアニューギニアでの日本兵の遺骨のほとんどは戦地に放置されたままだった。ひどい場合は、欧米観光客の見世物にされていた。このままでは戦死した仲間が報われない…。西村さんは国に代わって戦友の遺骨を探し続け、これまでに少なくとも600体以上の遺骨を掘った。◆オーストラリアではいま、生涯をかけ戦友の遺骨を拾う西村さんの生き様を、高校生が授業で学んでいる。オーストラリア兵の視点だけでなく、日本兵の立場からも戦争の歴史を見つめ、同じ過ちを繰り返さないようにという考えからだ。高校生たちは、個人で遺骨収集を行う西村さんの姿に驚き、感銘を受ける。◆2011年7月、西村さんは恐らく最後となるだろうパプアニューギニアの慰霊に遺族らと訪れた。戦友との約束にけじめをつけるため、また数少なくなった戦争体験者として戦争の事実を語り伝えたいと考えたからだった。西村さんがなぜ、戦友との約束を守ろうとしたのか。彼にとって「約束」とは何か…。そこには70年目にして明らかになった、彼と戦友との命をかけた重い真実があった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組