テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

復帰40周年特別番組 時代が生んだ企業群像

番組ID
207687
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年05月30日(水)19:00~19:54
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
琉球放送(RBC)
製作者
琉球放送(RBC)
制作社
琉球放送(RBC)
出演者
ナレーション:田久保諭、ナレーション:金城有佳
スタッフ
撮影:當銘衛、撮影:砂辺光裕、撮影:砂川友弘、撮影:吉田永吉、音声:名嘉山元樹、音声:友寄隆一郎、テロップ:比嘉梢、テロップ:與那嶺千枝、テロップ:赤嶺智子、テロップ:糸数若菜、編集:當銘衛、ディレクター:新里啓一、プロデューサー:與那嶺博明、プロデューサー:砂川裕
概要
沖縄が本土復帰した1972年。沖縄県では数多くの企業が産声を上げるともに、既存の企業は大きな変革を迫られた。復帰からの40年間を、経営者たちはどのように乗り越え、生き残っていったのか。そして今、どのような展望を描くのか。復帰40年の節目に、沖縄県の様々な分野の企業を紹介し、沖縄経済の歩みと現状を考える。

同じ年代の公開番組

RBCザ・ニューススペシャル みずほの日々 精神障害者とともに生きる

沖縄県那覇市の福祉作業所「就労支援センター・みずほ」。伊集滝美所長は精神障害者たちの生きづらさや苦労、楽しさ、喜びに日々寄り添っている。「みずほ」の人たちが繰り広げる毎日のドラマを見つめる。◆「みずほ」メンバーの直子さんは、よく気持ちが不安定になり、リストカットを繰り返す。痛々しい切り傷を見せられた伊集さんは「また切ったの?」などと軽くあしらうが、直子さんの不安が時として本格的な自殺願望に変わることもあり、目が離せない。死にたい気持ちに苛まれてどうしようもなかった時、夜中でも電話で話し合ったという2人の関わりは、重荷をともに背負う姿そのものである。◆由美さんは閉鎖病棟に10年も入院している。症状は安定しているが、地域の受け皿が無いために退院ができないという典型的な社会的入院だ。彼女が将来の退院を見据え、外の空気に少しずつ慣れようと「みずほ」に週2回通うことになった。「みずほ」では入院中の由美さんを事業所の利用者として登録できないので、行政からの支援は受け取れない。それでも伊集さんは「病棟暮らしを余儀なくされている人が、一人でも多く地域に出られれば」と受け入れを決めた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
600キロを結ぶ友情 ~名古屋市と陸前高田市の間に生まれた絆~

東日本大震災の発生から1年半以上が過ぎた。名古屋市は陸前高田市に対して様々な行政支援を続けている。両市の距離およそ600キロをつないで生まれた、様々な「友情」や「絆」を描く。◆津波に耐えた「奇跡の一本松」の近くには、同じく一本だけ残った「奇跡のケヤキ」の木があった。名古屋市と愛知県造園建設業協会は協力し、このケヤキの本格的治療に取りかかった。高田小学校の児童がこのケヤキに名前を付けた。そして、ケヤキには新しい芽吹きが…。◆名古屋市による行政機能の「丸ごと支援」で、男性保健師は陸前高田市の全ての家庭をまわり、健康状態の聞き取り調査をおこなった。日々の活動を重ねる中で、彼はおばあちゃんたちのアイドルとなっている。◆「ともだちプロジェクト」は、次を担う世代の理解のためにも、復興支援の重要なプロジェクト。修学旅行などが中止になってしまった陸前高田市の中学生に対して、名古屋市が生徒たちを招待。また2012年からは、名古屋市の中学生が陸前高田市を訪れることになった。仮設住宅に住む被災者が中学生に語った言葉は…。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
マザーズ 「特別養子縁組」 母たちの選択

美沙さん(仮名23歳)は未婚で妊娠7か月。同棲している彼からは「中絶して欲しい」と言われた。中絶は嫌だったが、自分で育てる自信はなかった。そんな時、美沙さんは「特別養子縁組」という制度があることを知り、子どもを人に託す事にした。◆予期せぬ妊娠で産まれる子の養護を目的に、国が1988年に作った制度「特別養子縁組」。生後間もない小さな命が、産みの母から育ての母へリレーされる。美沙さんは予期せぬ妊娠の出産をサポートするNPOで暮らし、病院で出産した。1週間後、赤ちゃんは引き取られていくことになり、美沙さんは我が子との別れに泣き崩れたが、「私は命しか守れなかったけど、これから新しいお父さんお母さん家族に守ってもらいたい」と語った。◆14歳の少女は、妊娠に気付いた時には中絶できる時期を過ぎていた。少女の母親は施設に預けて何年後かに引き取って育てるかなど、悩んだのだが、結局彼女は出産後、養子として人に託すことを選択した。生まれた赤ちゃんは、不妊治療に見切りをつけ養子縁組団体に育ての親(養親)として登録した夫婦の元へむかえられた。◆養子縁組で男の子を育てあげた女性は、息子が反抗期の時に「こんな家に来たくなかった」と言われて辛い思いをしながらも、育ててくれた感謝の手紙をもらって感動したという。特別養子縁組で育ての親の元で成人した女性は、周りで中絶する友人もいたため、「産みの母」が命をくれたことに感謝している。しかし「生まれ変わったら養父母の元に生まれてきたい」とも語る。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
シリーズ輝石の詩 解体新書を描いた男 秋田蘭画と小田野直武

およそ200年前の江戸時代中期。25歳の青年絵師・小田野直武は、平賀源内にその才能を見出され、みちのくの小京都・角館から江戸に向けて一人旅立った。江戸に出た直武は、西洋の新しい絵画表現を取り入れた“秋田蘭画”と呼ばれる作品を数多く描き、主君・佐竹曙山とともに日本洋画の先駆けとなった。同時に直武は、本邦初の本格的解剖書「解体新書」の挿絵画家としても後世に名を残している。しかし、その華々しい業績とは裏腹に、直武は“国元遠慮”を申し付けられたまま、32歳の若さで短い生涯を閉じた。時は安永、田沼意次が威勢を誇った時代。日本は鎖国の真っ只中にあった。◆源内によれば、当時の秋田は“甚だ手広なる事にて御座候得ども、未開之国にて御座候得処”だったという。なぜ“未開之国”から、日本洋画の先駆けになった秋田蘭画の花が開き、当時の先端医学書に携わる人物を輩出できたのか。直武と秋田蘭画、そして「解体新書」にまつわるミステリーを解き明かしていく。シリーズ輝石の詩・file7。秋田朝日放送開局20周年記念番組。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
ぐっさん・ガレッジ・ベッキー・唯が行く! にじいろ人生拝見 ニッポンのじぃちゃんばぁちゃん

土曜朝の情報番組「にじいろジーン」の人気コーナー「じぃちゃん!ばぁちゃん!唯が行ぐがらな~♪」の特別編。過去に紹介したお年寄りたちをベッキー、山口智充、ガレッジセールが訪問し、一日手伝いをする。佐藤唯は日本一の長寿村を訪れる。スタジオゲストは天童よしみとはるな愛。◆ベッキーは前年の台風で大被害を受けつつも元気に頑張る和歌山県那智勝浦町で茶屋を営むばぁちゃんを訪問する。自宅を半分流されたのに「毎日こんなに幸せでいいのかしら」と笑うばぁちゃんに、スタジオもボロ泣き。ぐっさん(山口智充)が訪ねたのは高知県四万十市の川漁師のじぃちゃん。伝統漁法の“柴漬け漁”をたった一人で継承し、そのうえ趣味も多彩で「まさにスーパーじぃちゃん!」とぐっさん大絶賛。ガレッジセールは栃木県日光市の空師(そらし)のじぃちゃんに1日弟子入り。ロープ一本で地上60mに登ることもあるという壮絶なる仕事内容に2人は圧倒される。世界遺産を守る73歳の仕事人に「男が惚れる男です」とゴリも本気顔。そしてコーナーの本家・佐藤唯は、長寿村と呼ばれる沖縄県大宜味村へ。びっくりじぃちゃん&暴走ばぁちゃんから、長寿と元気の秘訣を教わる。はたして、にじいろメンバーがじいちゃん・ばあちゃんの人生を通じて感じたこととは…。


cinematic_blurドキュメンタリーgroups芸能・バラエティーtvテレビ番組