テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

日本!食紀行 黄金のいぶりがっこ ~里山の野菜農家に学ぶ~

番組ID
208258
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年02月12日(水)10:25~10:55
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
秋田放送(ABS)
製作者
秋田放送(ABS)
制作社
秋田放送(ABS)、民間放送教育協会
出演者
ナレーター:玉川砂記子
スタッフ
テーマ音楽:柏木広樹、撮影:出雲輝彦、取材:宮崎淳、取材:高木一也、音声:杉野光崇、音声:加藤輝慎、ミキサー:兼清和寛、音響効果:中村胤貴、ディレクター:石川岳、プロデューサー:石黒修
概要
秋田県の山あいの農村で作られる漬物・いぶりがっこを紹介。里山に生きる野菜農家の1年に密着して、伝統食を守る人々の思いを伝える。◆横手市山内三又の高橋登さんは、里山の集落の14代目。稲刈りを終えた10月から、いぶりがっこ作りを始める。薪の煙で大根をいぶす「いぶりがっこ」は、秋田でだけ作られる伝統食。登さんは自分で育てた米と大根を使って、ひと冬に5万本のいぶりがっこを漬け込んでいる。燻すことでアミノ酸の含有量が増え、旨味が増すと言われる大根。番組では、栄養素の成分分析なども交えながら、いぶりがっこのおいしさを紹介する。

同じ年代の公開番組

メ~テレドキュメント 祖国への遺言 ~「英雄」荘則棟と中国~

中国で「民族の英雄」と呼ばれた元卓球チャンピオン・荘則棟。2013年2月、北京。彼の告別式は異様な雰囲気に包まれた。会場は病院の霊安室。周辺を公安警察が取り囲み、メディアの取材や一般の弔問は禁止された。当局はなぜ、荘の弔いを隠そうとしたのか。◆荘には妻がいる。佐々木敦子さん。旧満州生まれの日本人で、27年前に荘と国際結婚した。敦子さんは荘が亡くなって数ヶ月、遺骨を手放せずにいた。「困難を共に越えてきたから二人でいたい」そんな気持ちの表われだ。◆1960年代前半、荘則棟は卓球の世界選手権で「男子シングル3連覇」という偉業を達成。建国から間もない中国で、国民に希望と自信を与えた。大会の後、荘は33歳の若さで大臣に抜擢される。ところが毛沢東の死後、権力を握っていた四人組が失脚。荘は四人組の追随者とみなされ、投獄された。◆釈放後、荘は敦子さんと出会って結婚するが、「四人組の追随者」という格印は消えなかった。敦子さんは荘が亡くなって初めて、その意味を知ることになる。敦子さんに訪れた試練、そして荘が残した言葉の意味の中に、現在の中国の「素顔」が垣間見える。◆「メ~テレドキュメント とむらい 英雄の妻が見た国家」の再編集版。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
スクープアップやまぐちスペシャル 僕たちの舞台、私たちの勝間

瀬戸内海を望む山口県防府市。勝間小学校では地区に残る言い伝え「勝間の浦人」を大切にしており、毎年5年生全員が劇で演じることが伝統となっている。秋になると稽古を始め、学習発表会の場で、他学年生や保護者・地域の人たちを前に上演する。この舞台を経験することで、6年生になった時に下級生たちのお手本となる心構えが備わるという。◆勝間地区の近くには、日本三天神に数えられる防府天満宮がある。「勝間の浦人」は、大宰府へ流罪となった菅原道真が現在の防府市勝間に滞在した時、海辺で暮らす人々から温かいもてなしを受けて感激したという伝説をもとにした物語。勝間地区に残る言い伝えと、防府天満宮にまつわる歴史を子どもたちに伝えるためにも、劇の上演は欠かせないものになっている。◆劇の練習から舞台の本番を通して、子どもたちの自主性を高めようと考える先生たち。練習も出来るだけ口を出さずに見守る。その思いに応えようと子どもたちも努力する。番組では2年間の取材を通し、子どもたちの成長ぶり、先生たちの奮闘ぶりを描く。勝間小の子どもたちはふるさとの歴史と伝統を心に刻み、巣立っていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ミヤギテレビ報道特別番組 いつも心に青空を 我ら社会人応援団

宮城県仙台市に住む平了さん36歳。平さんは東日本大震災で親友を亡くしたのをきっかけに、津波被害に遭った家のガレキ撤去を行うボランティアを始めた。それから一年後、ある思いから平さんは活動を中断する。「ガレキはなくなっても被災者の心の不安は拭えない。もっと自分にできることはないのか?」平さんは思いを巡らせた。そこで思い出したのが「応援」だった。平さんは高校時代、80年の伝統がある応援団の団長を務めた経験がある。◆応援でたくさんの人を元気にできるのではないか…。平さんは「青空応援団」という名の社会人応援団を結成した。青空応援団には、学生時代に応援の経験がある者に加え、津波で甚大な被害を受けた被災地出身の団員、アメリカで心臓の移植手術を受けた息子を持ち、支援してくれた人たちへの恩返しにと入団した団員などがいる。応援団は“応援してほしい”という依頼者の元へ駆け付け、無償でエールを送る。「俺たちのエールが、心に掛かった雨雲を吹き飛ばしてくれる」と願いを込めて。「創る・あした~伝えていきます~ミヤテレ震災復興プロジェクト」。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組