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テレビ番組

ウッティ発! 最後まで全力プレー ―大月高校8人の野球部―

番組ID
208395
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放送日時
2013年09月25日(水)19:00~19:55
時間(分)
48
ジャンル
directions_bikeスポーツcinematic_blurドキュメンタリー
放送局
テレビ山梨(UTY)
製作者
テレビ山梨(UTY)
制作社
テレビ山梨(UTY)
出演者
ナレーション:新井田雅樹
スタッフ
MA:石井勇人、音響効果:田中健、カメラ:浅川豪、カメラ:長田和也、カメラ:平田祐基、AD:沢井徹、CG:中込茂、CG:龍川登司雄、制作統括:宮坂美千博、制作:植松裕二、プロデューサー:平岡豊、ディレクター:古屋孝樹
概要
山梨県大月市。1956年(昭和31年)創立の大月短期大学附属高校は平成26年3月で閉校となり、58年間の歴史に幕を下ろす。閉校を控え、在校生徒は3年生105名(男子33名)のみであるため、各部活動はほとんど成り立っていない状況だ。野球部にとっても“最後の夏”となった平成25年、部員不足が最大の悩みとなった。野球は9人で行うのに、最後の夏に残った部員は8人だけ…。◆夏の大会への出場も危ぶまれる状況だが、彼らの目標は「試合に勝って、閉校となる大月高校の校歌をグラウンドに響かせること」。24年間に渡り指導してきた永島良幸監督も、最後の夏に部員が8人しかいないことに悩む。それでも、卒業生・職員など全ての学校関係者は、野球部最後の戦いに学校の閉校への思いを重ね合わせ、大きな期待をしていた。◆最後の9人目の選手は助っ人。陸上部やハンドボール部から助っ人を呼び寄せて、何とか出場にこぎつけた。そのため、野球部の戦略は「打って打って打ちまくる!失点は覚悟でそれ以上に点をとること」。監督は部員たちを叱咤激励し、野球部を引っ張っていく。そして部員たちの心にも変化が生まれてくる。8人の選手と監督は最後の夏、どんな物語を作り出すのか。それぞれが成長していく姿、チームがたくましくなっていく様子を描く。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第62回青少年向け番組優秀)

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北海道・小樽市。ユニークな食育で子どもの体と心を育てている保育園の1年間に密着。大自然とともに成長する子どもたちの姿を伝える。HBC「北のフード熱血応援団 ケッパレ!ごはん」のコーナー企画をまとめた特別番組。◆イワシを手で開いてそのまま油で揚げた、骨付きイワシのから揚げ。そんな料理を1歳児から食べるのが「NPOかもめ保育園」の日常だ。最近はやわらかいことが様々な食品の売り文句になっているが、この園ではその逆。かたいものをよく噛んで食べるのがモットー。あごや体の発達、さらには情緒の安定にも良いという。◆かもめ保育園では、地域にある食べ物を大切にしている。春には自分たちでヨモギを摘んでヨモギ餅を作り、夏には桑の実ジャムを手作りパンにのせて食べる。収穫の秋には、そば打ちも体験。豆腐やカレーライス、ニシン漬けなどを年長さんが手作りし、年下の子たちに振る舞う。「おいしかった」「ありがとう」といった言葉の大切さも学ぶ。◆夏季には海水浴場の近くにある季節園舎で、一日中、海に潜り、砂浜を走って過ごす。冬季は大学の山岳部の山小屋を借りて、ソリ滑りに雪遊び。自分たちが使う雑巾は自分たちで縫い、縄跳びに使う縄は自分たちで編み上げる。かもめ保育園には、そんな生きる力を育てる教育がある。


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ともに生きて

石川県穴水町に住む山谷靖昌さんは、自宅で認知症の妻の介護を続けて13年になる。妻・たえ子さんは51歳の時、アルツハイマーの認知症を患い、3年ほど前からは一日中つきっきりの世話が必要となっている。1時間ごとにたんの吸引が欠かせず、夜間も面倒を見続けなければならない。それでも「生まれ育った故郷で過ごさせてやりたい」と、施設へ入所する道を選ばずに、在宅介護サービスを使って世話をしてきた。◆認識能力を奪われた妻に対して、山谷さんが一貫して続けていることがある。それは、たえ子さんをトイレに座らせること。たえ子さんのような寝たきりの場合、手間を省くなどの理由からオムツを履かせるのが一般的だ。山谷さんは、このトイレ介助がもとで腰痛を患ったが、決してやめようとしない。「たとえ妻が何も分からなくなっても、今まで通りの生活をさせてあげたい」と話す。長年の介護体験で、支えているはずの妻から逆に自分が支えられていると感じ、「人間にとって一番辛いのは、見捨てられることだ」と悟ったからだ。◆番組では、山谷さんの講演を聞いて知り合いになった輪島市の男性介護者や認知症の潜在患者の掘り起しに取組む医師も取材し、3人の姿から私たちがどう認知症と向き合っていけばいいのかを考えていく。


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ウッティ発! 登る ―北岳は神様―

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