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テレビ番組

約束の超特急 ~北陸新幹線半世紀の軌跡 富山から~

番組ID
209342
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放送日時
2015年01月03日(土)14:54~16:06
時間(分)
58
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリーrecent_actorsドラマ
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)
出演者
スタッフ
題字:笹林玉園、撮影:中根久、照明:渡辺浩章、音声:山田義昭、撮影助手:水野琢磨、ヘアメイク:大村弘二、衣装:野口藍、装飾:沖原範充、CG:田口衛、選曲:篠崎保、MA:葛誠司、演出助手:坂本欣弘、総合演出:笹林英之、制作:馬場宏治、制作統括:服部寿人
概要
2015年3月14日、北陸新幹線・金沢開業。北陸新幹線の建設までの半世紀の軌跡を、ドキュメントとドラマをミックスし、富山県の視点で描く。◆物語は1965年(昭和40)に石川県金沢市で開催された一日内閣からはじまる。富山県の代表として発言した砺波市商工会議所の岩川毅は、佐藤栄作総理大臣の前で東海道新幹線のバイパスとして東京と大阪を結ぶ北陸新幹線の建設を提唱した。日本の発展を視野に入れた発言は、佐藤総理に大きなインパクトを与えた。だがその後、日本経済はオイルショックや国鉄の赤字問題などで財政難が続き、整備新幹線建設は一向に進まなかった。◆そんな中で富山県知事に就任したのは、ミスター新幹線と呼ばれた中沖豊だった。中沖知事の在任24年間は、北陸新幹線の建設促進の歴史でもあった。知事は日本の発展のために北陸新幹線が必要だと、先陣を切って国に陳情を続けた。しかし進まない新幹線建設。県民からは陳情活動は税金の無駄使いだとの声も上がった。そんな中でも中沖知事は、国や地域の発展のために北陸新幹線建設の推進に邁進していった。

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