テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ドキュメント九州 俺だってラガーマン

番組ID
209529
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年03月01日(日)06:30~07:00
時間(分)
26
ジャンル
directions_bikeスポーツcinematic_blurドキュメンタリー
放送局
テレビ西日本(TNC)
製作者
テレビ西日本(TNC)
制作社
テレビ西日本(TNC)
出演者
ナレーター:石原佳代子
スタッフ
編集:利光英樹、MA:新甫宙、ディレクター:近木俊介、プロデューサー:正木伸一郎
概要
あまりの激しさ、荒々しさ故に“殺人球技”という異名を持つ競技「ウィルチェアラグビー」。手や足に障害を持つ人たちが、車いすで行うラグビーだ。重装備の車いすに乗ったプレイヤーたちが激しくぶつかり合う、迫力ある球技である。◆福岡県で働きながらウィルチェアラグビーを続ける堀貴志さん。生まれたときから全身に障害があり、車いす生活を続けてきた。もともと車いすバスケットを行っていたが、ウィルチェアラグビーに転向。始めて1年あまりで、早くも全日本代表候補に選ばれた。堀さんは言う「障害者スポーツだからではなく、純粋に一つのスポーツとして感動を与えられるようになりたい」。◆堀さんの目標の一つは福岡にウィルチェアラグビーチームを作ること。その目標が少しずつ実現しようとしている。堀さんとともにチームの立ち上げに動く坪田晋さん。生粋のラガーマンだ。坪田さんと堀さんが出会ったことで、チーム設立へ大きく動き始めた。

同じ年代の公開番組

英雄の妻 敦子 ~激動の日中関係を生きた女の人生~ / 第29回民教協スペシャル

1971年3月、愛知県体育館で開催された「世界卓球選手権」。東西冷戦の時代、断絶していた中国とアメリカが手を取り合うきっかけとなった大会だ。荘則棟(そうそくとう)はその「ピンポン外交」の立役者。彼は世界卓球選手権を3連覇し、建国間もない中国に夢と希望をもたらした「民族の英雄」だった。◆この時に名古屋で荘則棟と出会い、後に妻となった佐々木敦子さんは、1944年に当時の満州で生まれた。獣医だった父親の研究継続のため、終戦後も家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし祖国での暮らしに馴染めず、心は中国を求めていた。◆そんな時に世界卓球選手権大会が開かれた。中国代表チームの参加が報じられ、敦子さんはたまらずに名古屋へ向った。中国チームのいるホテルを訪ねた敦子さんに、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘は「日中友好に貢献を」と言葉を掛けたという。そして敦子さんは大手商社の中国駐在員となる。荘はスポーツ大臣にまでなっていたが、毛沢東が亡くなり、それまで権力を握っていた「四人組」が失脚。荘は四人組の協力者とみなされ、4年間監禁された後、地方へ追放された。◆敦子さんは荘則棟の境遇を知り、北京で荘と再会した。そして何とか彼を救おうとし、いつしか2人は恋に落ちた。しかし中国政府は2人の結婚を認めなかった。大きな犠牲を払い結婚した2人に、20年以上は幸せな日々が続いた。しかし2013年に荘がガンで死亡。そして中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
FBCスペシャル2015 僕らのミーティング ~話す・聞く・想う~

福井県勝山市の山あいにある、かつやま子どもの村小・中学校。教育方針は「自由な心」「個性」「自己決定」。この学校が考える「学力」とは、学業成績や受験実力ではない。感情をコントロールし、良き人間関係を保っていく力。自分の人生を、自分の力で生きていける能力を「学力」ととらえている。◆授業の半分は「プロジェクト」と呼ばれる休験学習で、人間の営みの基礎となる「衣食住」をテーマに、建築や農業に取り組む。体験学習を進めていく上で何より大事にしているのが、話し合い「ミーティング」の時間。例えば建築クラスでは、作る建物や作業の手順も子どもたち自身がミーティングで決める。さらに毎週水曜日7限目「全校ミーティング」の時間には、学校生活のルール、学校行事の計画、子ども同士のもめごと解決法などを、小・中学生全員で話し合って決めていく。◆「ミーティング」を繰り返し、自分で考えて判断する力、お互いを認め合うしなやかな心を育んでいく子どもたち。「話す・聞く・想う」の1年間を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組