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テレビ番組

終われ戦世 ~証言記録 太平洋を越えて~

番組ID
209596
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放送日時
2014年11月01日(土)14:00~15:54
時間(分)
104
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
琉球放送(RBC)
製作者
琉球放送(RBC)
制作社
琉球放送(RBC)
出演者
ナレーター:金城まり子、ナレーター:近藤美矩、声:柴田秀勝、声:牛田裕子、声:岡本寛志
スタッフ
音楽:白川ミナ、題字:宮森きみ子、美術:大嶺亜矢、美術:比嘉梢、美術:與那嶺千枝、美術:名嘉一、MA:宮崎匡宏、編集:金城明、撮影:原義和、取材:原義和、構成:原義和、プロデューサー:砂川裕
概要
戦争の傷が今も癒えない人が大勢いる。終われ戦世(いくさゆ)…人々の心からの願いを記録した番組。すべてを失うことになった沖縄戦の実態を、様々な立場の幾人もの眼差しを通して多角的に見つめる。琉球放送創立60周年特別番組。◆1945年はいわば「戦後ゼロ年」。慶良間諸島に米軍が上陸した3月末から、地獄絵のような地上戦が数か月間にわたり展開した。沖縄は田畑も家も村も人も、何もかもが焼き尽くされてゼロになった。沖縄戦の実態は、県史や市町村史の戦時記録などを作る過程で膨大な数の住民証言が調査・記録され、細部まで掘り起こされてきた。しかし、死角のように見逃されてきた人たちがいる。例えば、元米兵の証言は住民と比べて圧倒的に少なく、沖縄戦を戦った米兵たちの人間像は意外にもほとんど明らかにされていない。また、1940年代の沖縄は10人に1人が移民していたという「移民県」だった。にもかかわらず、移民2世の戦争体験はあまり知られていない。海を越えて戦場はつながっている。番組では戦争を生き延びた人たちの心からの叫びを聴き、大切な言葉のひとつひとつを記録する。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第63回報道番組優秀)
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

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テレメンタリー2014 死への大脱走の果てに ~70年目のカウラ事件~

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