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テレビ番組

ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 命の水 “Water of Life” (英語字幕版)

番組ID
209924
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放送日時
2015年07月14日(火)22:54~23:00
時間(分)
3
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
テレビ新広島(TSS)
製作者
テレビ新広島(TSS)
制作社
テレビ新広島(TSS)、TSSプロダクション
出演者
スタッフ
音楽:岩本貢、プロデューサー:横井利行、ディレクター:清水正義、ディレクター:山下剛史、音響効果:広瀬康詞、カメラ:大原英二、編集:大原英二、企画:吉村美紀
概要
原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆爆心地から約500mの場所にあった広島市水道部基町庁舎は、勤務中の職員とともに全滅した。当時、市内で唯一の牛田浄水場も大きな被害を受けた。ポンプの送水は一斉に停止し、配水池に残っている水だけで給水が続けられた。「一刻も早う予備の内燃機送水ポンプを運転して、市内に給水しなけりゃ」(当時給水課技手・堀野九郎)。火傷を負いながら駆けつけた堀野は、「人々に水を…」と言う一心で、壊れたポンプを必死に修理した。そして原爆投下当日の午後2時頃には給水が復旧し、断水の危機を免れた。技術者たちの水道にかける思いは、明治31年の創設以来、今日まで117年間「不断水」を支え続けている。(英語字幕版)

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原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆爆心地から約1kmにあった広島中央放送局(当時・上流川町)は、猛烈な爆風と火災で壊滅した。放送機能は完全に停止し、広島の声は途絶えた。しかし、市内から約5km北にあった祇園町の原放送所は無事だった。。「この惨状をすぐに伝えなければ」と6日夕刻には、傷ついた14名の放送・技術部員が次々と到着、原放送所の臨時放送機器の復旧に取り掛かった。「電波は出ているか、電波を出せ、放送を続けよ」(旧広島中央放送局放送部・間嶋輝夫副部長)。翌7日午前9時には放送を再開。第一声は、不安に届ける「県知事の治安に関する告諭」だった。NHK祇園放送所(当時・原放送所)は今もラジオ放送所が電波を発信し続けている。(英語字幕版)


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