テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

FNSドキュメンタリー大賞 生ききる 患者の死と医者の生き方

番組ID
210335
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年05月23日(土)15:00~15:55
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
NST新潟総合テレビ
製作者
NST新潟総合テレビ
制作社
NST新潟総合テレビ
出演者
ナレーション:横内美紗
スタッフ
撮影:伊藤浩之、編集:伊藤浩之、MA:佐藤誠二、CG:金子香澄、構成:石井彰、ディレクター:目黒カナ、プロデューサー:小林淳
概要
新潟県上越市にいる風変わりな医師・平原克己さん。地域唯一の診療所を運営しながら、100人近くを在宅で診療している。自由気ままな一方で、患者の心と身体を第一に考えるまっすぐな医者だ。これまで在宅で看取った患者は約200人。24時間365日、呼ばれれば必ず向かう姿勢に患者も信頼を寄せている。◆患者のひとり、室井敏夫さん夫婦はこどもがおらず、老老介護。それでも自宅にいたいという夫・敏夫さんのために、妻・キチヨさんは献身的に看病を続ける。訪問看護や訪問介護を利用しながらの夫婦二人三脚の日々は、「闘病」ではなく「日常」であった。◆胃がんと認知症の大平タマオさん。高齢のため、がんの進行はほとんど見られない。予後に影響するのは、ゆるやかに進行する認知症。食欲旺盛なタマオさんだが、日常的な動作が困難になっていくことが予測される。意識が低下し、食べることができなくなったら…。家族は難しい選択をしなければならない。◆若くしてガンを患い、最期の時を自宅で過ごすと決めた石田善彦さん。遠く離れた子供や孫たちも、頻繁に実家に戻って励まし続ける。石田さん本人と家族が、少しずつ死を受け入れていく姿は、逆に生きる喜び、家族の絆を物語っていた。番組では、平原医師と患者・家族の日常を追い、「死」から見える「生」を考える。

同じ年代の公開番組

黒柳徹子のコドモノクニ ~夢を描いた芸術家たち~ 片岡鶴太郎が巡るサトウハチローの世界 僕は不良少年だった…童謡詩人が母に捧げた愛の詩

大正11年から昭和19年までの22年間に287冊発刊された絵雑誌「コドモノクニ」。子どもたちの情操を育てるため、きら星のごとき芸術家たちがこぞって作品を掲載していた。この伝説の絵雑誌に作品を描いた芸術家の人生を“旅人”がたどる番組。◆初回スペシャルの旅人は、画家・書家としても活躍するタレント・片岡鶴太郎。2万編を超える詩作を残した童謡詩人・サトウハチローの世界をたどる。「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」など、今も歌い継がれる童謡の作詞にとどまらず、終戦直後の日本人を元気づけた「りんごの唄」もサトウハチローが作詞したもの。黒柳徹子は交流のあったサトウハチローの印象を「こころの澄んだ詩人」と語る。◆数々の名作を残したサトウハチローだが、その足跡をたどると意外な事実が見つかる。少年時代は手の付けられない「悪童」で、更生施設があった小笠原諸島の父島で暮らした時期があったという。彼はいかにして、子どもたちに夢を与える詩人に生まれ変わったのだろうか。◆片岡鶴太郎が自身の人生を重ねながら、東京の茗荷谷、浅草、上野動物園とサトウハチローの足跡をたどる。通った小学校、大好きだったお酒、お気に入りの下町の甘味…。サトウハチロー晩年の弟子・宮中雲子さんへのインタビューからは、生涯母への思いを抱き続けた純粋な姿が浮かびあがる。◆旅を終えた旅人は、番組の最後に未来を生きる子どもたちのために作品を描く。果たして、片岡鶴太郎はどんな作品を残すのだろうか。BS朝日開局15周年特別企画。番組ナビゲーターは黒柳徹子。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
新ふるさと百景 虫井神社の花籠祭り ~鳥取・智頭町~

時代の流れとともに消えようとしている、ふるさと島根・鳥取の素顔、自然、生活、文化、伝承行事などを、映像遺産として後世に伝えるシリーズ番組。太田胃散文化スペシャル。◆鳥取県の智頭町にある「虫井(むしい)神社」(「むし」は虫の上にノ)。この神社では毎年10月28日に「花籠祭り(はなかごまつり)」が行われ、氏子から色鮮やかな「花籠」が奉納される。2015年の花籠を背負う男性「花男」は、寺谷宇一朗さんだ。花男は集落内でその年に20歳になった独身の男性で、両親が健在でなくてはならないなど、様々な条件がある。しかし時代の変化に伴い、そのなり手が少なくなり、寺谷さんが虫井神社の花男を務めるのは、この年で2回目となった。花男は神や精霊が宿る使者で、化粧をしたり衣装を着るのは、この花男が唯の人ではなく神事に携わる選ばれた者としての印のためと言われている。花籠を背負い、手には青竹の先端をいくつにも割った杖を持ち、両脇を抱えられながら集会所から神社に向けて出発する。この行列は千鳥足で歩くほど縁起が良いとされており、花男は出発前にかなりのお酒を飲んでいる。そして虫井神社に到着し、お祓いを受けた後、待ち受けた多くの氏子たちや参拝者によって花籠の花「やなぎ」が抜き取られる。抜き取った花は丸く輪にして家に持ち帰る。輪にして持ち帰った花は、屋根に投げ上げておくと、火災や厄除けになると昔から伝えられている。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組