テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ローカル線の魅力シリーズ 四日市あすなろう鉄道

番組ID
210428
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年05月06日(水)18:15~18:42
時間(分)
5
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
製作者
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
制作社
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
出演者
ナレーション:川原和征
スタッフ
取材:川原和征、撮影:川原和征、編集:川原和征、制作:城田達康
概要
平日夕方のニュース情報帯番組「UP!」のコーナー企画「ローカル線の魅力」シリーズの一篇。◆廃線の危機にあった近鉄内部・八王子線は、2015年4月1日から「四日市あすなろう鉄道」として再出発を切った。三重県四日市市を走るこのローカル線は、軌道の幅が狭いことが特徴だ。東海道新幹線の約半分の762mmしかなく、ナローゲージ鉄道と呼ばれている。ナローゲージ鉄道は、かつて全国に約160路線あったが、今は3路線しか残っていない。戦後間もなく作られたレトロな車両が走っているが、老朽化が進み、今後次々と新しい車両に代わっていく予定だ。新会社は、鉄道の運営を民間が行い、線路や施設は四日市市が所有する上下分離方式(公有・民営)を採った。これからは、市が積極的に活性化の対策を行う。古いものが数多く残る「昭和の趣き」が、この鉄道の魅力のひとつとなっており、その魅力を失わない開発が望まれる。南日永駅の「猫駅長」など、沿線住民の思い出が宿るこの鉄道の今を伝えるカメラ・スケッチ。

同じ年代の公開番組

インテリワードBAR 見えざるピンクのユニコーン

BAR「見えざるピンクのユニコーン」を舞台に、インテリワード(少し知的な香りのする、頭良さげな響きを持つ言葉)をめぐる人間模様を描く。お笑いコンビ・ピースと人気劇団・ヨーロッパ企画が繰り広げる独特の世界観を軸に、言葉の意味を紹介するミニドラマを盛り込んだ、知的でシュールな教養バラエティ。◆新宿界隈にある妙なたたずまいのバー。そこは酒とインテリワードを客に提供するバーであった。夕暮れ時、サラリーマンの男(綾部祐二)がふと店の中に入ると、そこはなんとも奇妙な雰囲気の狭いバーで、中にはバーテンたち(本多力、永野宗典、諏訪雅)がいた。奥のカウンターにいた常連客らしき男(又吉直樹)から強引に誘われ、サラリーマンはカウンターに腰をおろした。バーテンが出したメニューから「コンコルド錯誤」をオーダー。すると、バーテンが紙芝居を取り出して言葉の説明を始めた。そしてユニ子(夏帆)というシンガーソングライター志望の女性もやって来て…。サラリーマンの男は、めくるめくインテリワードの世界へと引き込まれていく。他に「ゲシュタルト崩壊」「カクテルパーティー効果」「囚人のジレンマ」「水槽の脳」をとり上げる。


recent_actorsドラマgroups芸能・バラエティーtvテレビ番組
残念な夫。〔10・終〕

出産を機に夫婦関係が冷え込んでしまう「産後危機」問題をテーマにしたドラマ。子どもが生まれたのに父親らしい進歩が見えない主人公が、“最高のパパ”に成長して家族の絆を深めることができるのかをコメディータッチで描いていく。(2015年1月14日~3月25日放送、全10回)◆最終回。榛野陽一(玉木宏)は調停で、知里(倉科カナ)の要求を全て認め、離婚に同意した。最終的な離婚届の提出も、知里に任せることも承諾する。新潟の実家に戻った知里は、父の牧田仁輔(石倉三郎)、母の京子(角替和枝)に本当にこれでよかったのかと心配される。うなずく知里だが、離婚届を目の前に、まだどこか迷っていた。一方、陽一の家には、細井茂(岸谷五朗)と月島博(温水洋一)が訪ねて来た。自分の非を全て認め、離婚にも同意の上で、娘の華に恥じることのない父親になるという陽一の決意に、細井と月島は感心する。条件付きで須藤俊也(黒木啓司)にやり直すことを認めた由衣(高橋メアリージュン)。しかし、俊也の方が離婚を求めていた。由衣は心療内科のカウンセラーを訪ねる。知里との離婚の引き金となった陽一の浮気相手、大石かおり(笛木優子)がヘッドハンティングで会社を辞めるという。陽一が挨拶に行くと、かおりは知里と会ったと意外なことを話し出した。必死に家族を守ろうとする知里の姿に、陽一をあきらめたと続けるかおり。それなのに離婚とは…と、陽一はかおりに言われてしまう。細井家では、美香(生田絵梨花)のピアノコンクールが一週間後に迫っていた。美和子(大塚寧々)は知里に会うため新潟に向かう。やんわりと離婚を思いとどまらせようとする美和子だが、知里の陽一への幻滅は重かった。その頃、陽一は今までの自分を変えようと必死になっていた。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
KNBふるさとスペシャル 沈黙の70年 富山大空襲と孤児たちの戦後

「戦争孤児」。戦争が理由で孤児になった20歳未満の人の総称だ。昭和23年2月、当時の厚生省が実施した「全国孤児一斉調査」。その結果、第二次世界大戦による戦争孤児は12万3千人余り、富山県内にも427人いることがわかった。しかし、その事実が明らかにされたのは30年余り後のことだった。◆昭和20年8月2日未明の富山大空襲。米軍のB29が富山市に落とした焼夷弾は56万発以上。死者は約3千人(推計)。米軍が爆撃目標にした市街地破壊率は99.5%と、空襲に遭った日本の都市の中では最も大きな被害を受け、多くの子どもたちが孤児となった。長野県で暮らしている藻谷研介さんもその1人だ。焼かれた富山市の実家跡地や一晩身を置いた松川を息子らとともに訪ね、記憶を語り継いだ。藻谷さんは戦後、縁戚や姉の嫁ぎ先などを転々とし山口県へ。「振り返れば家族再建の70年だった」と振り返る。◆富山市郊外の児童養護施設「ルンビニ園」。昭和22年、戦争孤児を寺に保護したのがその始まりだ。卒園生の坂口勝久さん(北海道在住)は小田原空襲の戦争孤児。ルンビニ園の理事長・恒田仙英さんに会うため、富山市を訪れた。目的は、同窓会作りだ。同じく孤児で、園時代の旧友・鮫島一さんと共に、県内在住の卒園生を訪ねるが…。◆焼け跡にたたずむ子どもたち。そんな孤児たちに国はどのような救いの手を差し伸べてきたのか。戦後補償に詳しい立教大学の前田一男教授は「敗戦で国家の戦争は終わったが、孤児が生きるための戦いはそこから始まった」と語る。戦争孤児の戦後70年の人生を見つめることで、日本が築き守ってきた「平和」を改めて考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組