テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

RSK地域スペシャル メッセージ 岡山映像ライブラリーセンター開館 カラーでよみがえる明治 ~始まったモノクロフィルムのカラー化~

番組ID
210512
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年04月15日(水)20:00~20:54
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
RSK山陽放送(RSK)
製作者
RSK山陽放送(RSK)
制作社
RSK山陽放送(RSK)
出演者
ナレーション:石井好伸
スタッフ
撮影:横田康成、構成:小松原貢、編集:小松原貢
概要
2015年4月1日、RSK山陽放送の第2ビルに岡山映像ライブラリーセンターがオープンした。ここには山陽放送開局以来のニュースや番組の映像のほか、終戦直後や戦前の映像も多数保存されている。中でも石井十次が全国で初めて岡山市内に開設した孤児院の映像は、撮影が明治38年で、日本最古のドキュメンタリー映画だとされている。映像はもちろんモノクローム。このため、孤児院の生活や、自立生活のために働く孤児や石井の姿は、どことなく我々の世界と隔たった感が否めない。そうした印象を何とか払しょくできないか。山陽放送ではセンターのオープンを機に、映像のカラー化に取り組むことにした。作業を行うのは東京にあるちいさな工房。工房と言ってもそこに有るのは一見普通のパソコンだけだった。しかし、スタッフの手で産み出されるカラー映像には、100年以上前に撮影されたとは思えない生気がみなぎっていた。
受賞歴
ギャラクシー賞(第53回報道活動部門大賞(RSK地域スペシャル「メッセージ」))

同じ年代の公開番組

ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 絶望の中に光を “The Light in the Despair” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆中国配電(現・中国電力)の電気設備は、爆心地から半径2km以内で壊滅的打撃を受けた。被爆と同時に停電し、6日は暗黒の一夜だった。翌7日には、三次・可部・呉・竹原・岩国など近郊の電業局から続々と救援隊が到着。生き残った職員は救援隊と共に、半焼けの傾いた電柱を起こし、焼けた電線を張り、連日深夜まで復旧作業にあたった。「一刻も早く不安におののく市民に光を…」(『あの日 あのとき~電力会社の被爆と復興の記録~』)。比較的被害が軽微だった段原変電所を応急修理し、8月7日には焼け残った宇品方面に送電を開始。8月8日には広島駅前一帯と本社社屋に、8月20日には残存家屋の3割に、11月末には残存家屋のすべてに、「希望の光」を灯した。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
テレメンタリー2015 満州に進撃せよ! ~草原に眠るソ連軍巨大基地~

岡山市に住む歴史研究家の岡崎久弥さんは、人口衛星からの画像を分析していたところ、モンゴル草原に残された巨大な施設跡を発見した。調べを進めると、その痕跡はソ連のスターリンが第2次世界大戦中に築かせた軍事基地である可能性が出てきた。1945年8月9日、ソ連は対日参戦し、旧満州国は崩壊した。予想もしない150万もの大軍による侵攻を可能にしたのは、スターリンが周到に準備したこの巨大基地だったのかもしれない。◆現地調査を行うため、岡崎さんたちはモンゴルへ飛んだ。遊牧民もほとんどいない草原を、GPSを頼りに走行する。走行距離は延べ2700km。そして、延々と続く施設の痕跡を確認した。さらに特別な許可を得て、小型ジェット機を飛ばす。浮かび上がったのは山手線がすっぽり入る規模の巨大な基地跡。それらを結ぶ鉄道跡も見つかった。一体なぜこんな施設が作られたのか。◆1939年に起きたノモンハン事件がきっかけだったと、岡崎さんたちは考える。ノモンハン事件は1939年9月15日に日ソが停戦協定を結んで終わるが、その2日後、ソ連はポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発する。しかしソ連は、対日対策も必要だった。そして6年後、ソ連が満州国へ一気に攻め入った直後、第2次世界大戦は終結を迎える。西側でドイツと戦っていたソ連の大軍が、満州まで移動できたことは謎とされてきた。番組はその謎を解き明かす。第2次世界大戦の始まりと終わりを見直す大きな一歩だ。シリーズ戦後70年(5)。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組