テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

スペシャルドラマ 永遠のぼくら sea side blue

番組ID
210865
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年06月24日(水)21:00~22:54
時間(分)
96
ジャンル
recent_actorsドラマ
放送局
日本テレビ放送網
製作者
日本テレビ放送網
制作社
日本テレビ放送網、日テレアックスオン、ザ・ワークス
出演者
スタッフ
脚本:渡辺千穂、撮影:高原晃太郎、撮影:杉村正視、撮影助手:岸上健二、撮影助手:佐藤文哉、照明:稲村洋幸、VE:福重伸隆、技術プロデューサー:池田英孝、音声:井村優佑、編集:渋谷陽一、ライン編集:石井康裕、MA:早川麻衣子、選曲:原田慎也、音響効果:茂野敦史、照明:高橋明弘(統括)、美術プロデューサー:高野雅裕、デザイン:大竹潤一郎、デザイン:高橋太一、美術進行:林田潤、装飾:今村文孝、装飾:石川淳貴、装置:佐藤秀雄、特殊効果:山室敦嗣、衣装:川井貴子、衣装:沼野智美、ヘアメイク:大野真二郎、ヘアメイク:末武美穂、ヘアメイク:大宮早矢香、フード:赤堀博美、CG:石貝怜子、編成:佐藤俊之、編成:合田伊知郎、宣伝:高木明子、営業:竹葉信太郎、HP:高橋大輔、スチール:江尻千世子、監修:河野洋(海洋学)、協力:森直樹(写真)、協力:長島敏春(写真)、演出補:刑部俊哉、演出補:増間高志、演出補:黒川未希、演出補:安井陶也、制作:柳内孝一、制作:島川統ノ介、制作:福田厚仁、制作:永井忍、記録:山縣有希子、プロデューサー補:高橋政彦、プロデューサー補:入江広明、プロデューサー補:鈴木香那、宣伝:岩崎麻利江、デスク:大下由美、挿入歌:カーペンターズ、挿入歌:シンディ・ローパー、チーフプロデューサー:伊藤響、プロデューサー:枝見洋子、プロデューサー:池田禎子、プロデューサー:茂山佳則、演出:西村了
概要
大学3年生。人生の選択を迫られる季節。周囲に波風をたてるのが苦手な松岡あおい(有村架純)は、「海の研究をする」という夢を諦めて、親の言うままに就職しようとしていた。そんな時、大好きな海の写真をきっかけに、海洋大学の学生たちと出会い、海の近くの水族館で期限つきの共同作業を行うことに。自分たちの夢を追う彼らの姿が、あおいの人生を少しづつ動かしはじめ、彼らもまた、変化していく。あおいを一途に思い続ける幼馴染・永田拓(山?賢人)、あおいの憧れの先輩・山内航汰(窪田正孝)、航汰の元カノ・佐伯夢花(成海璃子)。夢花へのほのかな恋心を抱えた芹沢亮(浅香航大)と、不倫関係を断ち切れない丹羽麗子(清野菜名)、親の借金のために夢を諦めた飯野奏介(矢本悠馬)。そしてあおいがすれ違った写真家・近藤瞬二(東出昌大)。新しく仲間となった彼らを待ち受ける運命とは。

同じ年代の公開番組

ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 声よ届け “Delivering my Voice” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆原爆投下で広島市内の通信手段は壊滅した。爆心地から約540mの場所ににあった広島中央電話局も通信設備は壊滅し、多くの局員が死亡重軽傷を負った(死亡216人・負傷243人)。広島城にあった中国軍管区司令部通信室も壊滅的打撃を受けたが、地下壕「通信室」の軍事専用電話は奇跡的に生きていた。通信室で交換台に勤務していた岡ヨシエさんは、警報伝達中に被爆(当時比治山高等女学校3年生で学徒動員)。意識が戻った時、目に映ったのは、瓦礫と化した広島の街だった。「そうだ、まだ通話できる所へ早く連絡を…」。九州・福山の司令部に被災第一報連絡「もしもし大変です…広島が新型爆弾にやられました。全滅に近い状態です」。局員は焼け残りケーブルの回収に奔走、8月13日には試験開通し、15日には14回線を復旧した。一日でも早い回線の復旧は、市民に「希望の声」を届ける最初の息吹となった。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
UTY報道スペシャル 思い続ける力 ―山梨から被災地へ―

2011年に発生した東日本大震災から4年。被災地では未解決の問題が山積し、復興への確かな足取りは未だ見えてこない。その現状を伝える報道は月日が経つごとに減少し、震災の記憶の風化が進行している。そんな中で、震災当時と同じ危機意識を持ち、被災地に今自分に何ができるのかを問い続け、活動を継続している人達がいる。彼らの活動を追うことで、未曽有と言われたあの震災と私達は今どう向き合うべきかを改めて問う。番組では、山梨から被災地への活動を続ける人たちの取り組みを追った。◆しらいみちよさん:山梨県都留市在住のシンガー。復興支援の曲を数多く作り、被災地を中心に全国でコンサートを行う。そのコンサートで募金を集め、宮城県気仙沼市で花火大会を開催している。◆株式会社マルゴー:山梨県市川三郷町の花火会社。震災直後から被災者支援のため、花火の打ち上げを続けている。2014年夏、気仙沼市で「鎮魂と希望の花火」を打ち上げた。また、被災した宮城県の花火師を受け入れている。◆リバイブジャパン:震災直後から山梨発のボランティアバスの運行を続け、運行回数は100を超える。代表の野口さんは、自分の目で今の被災地の姿を見ることの大切さを説く。◆身延山大学・柳本伊左雄教授:仏像彫刻の第一人者。震災から半年後に犠牲者の鎮魂のために仏像の制作を開始。その仏像は完成し、2015年3月に岩手県陸前高田市のお寺に納められた。◆開発好明さん:山梨県甲斐市在住のアーチスト。震災の直後から被災地を巡回してアートイベントを行っている。最近の活動として、福島県南相馬市の伝統芸能「北屋形の神楽」の復活、そして2014年11月、相馬野馬追と並ぶイベントに育てると意気込む、街おこしイベント「うまままつり」を行う。◆星の語り部:山梨県立科学館を拠点に活動するグループ。「出張プラネタリウム」「星空書簡」など、被災地の施設や仮設住宅で星空の魅力を伝える活動を続ける。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’15 命を運ぶ電車 ~JR脱線事故10年 遺族の執念~

2005年4月25日午前9時18分頃、兵庫県尼崎市でJR福知山線の車両がカーブで激しく脱線。乗客106人と運転士が死亡、負傷者560人以上の大惨事となった。◆兵庫県宝塚市の淺野弥三一さんは、あの朝、妻の陽子さんと次女の奈穂さんを自宅から送り出した。2人は、千葉の親族を見舞うため、弥三一さんの妹・ちづ子さんとともに新大阪駅に向かう途中に事故に巻き込まれた。2両目で瀕死の重傷を負った奈穂さんは奇跡的な回復を遂げたが、10年たった今も電車に乗ることができない。弥三一さんは、この10年、ひとつの決意をもって生きてきた。「あの事故を二度とではなく、絶対に起こしてはならない」。そのためには、JR自らが事故原因を分析し、安全体制を構築するしかないと考え、元社長らの刑事裁判には一切足を運ばず、「罰」を求める気持ちは脇に置き、JR西日本という組織に向き合い続けてきた。弥三一さんがJRにも参加を呼びかけて指針作りを目指した「安全フォローアップ会議」は2014年4月、ひとつの結論を導き出し、JRは今後「安全」の検査に外部の目を加えることとなった。◆「安全」を確かなものにするため、企業の犯罪を問う「組織罰」の創設を目指す遺族もいる。神戸市北区の大森重美さんは、長女の早織さんを亡くした。事故当時はゼネコン企業で人事研修を担当していた。組織の一員としての経験から、事故があっても企業を処罰できない「刑法」に疑問を抱くようになった。組織の責任体制を明確にすることが安全を確立する一つの手段だと考え、大森さんは2014年3月、「組織罰」の勉強会を有志で立ち上げた。◆JR西日本は、この10年の間に、約8000億円を「安全対策」に投じてきたという。しかし目に見えない「鉄道の安全」は、一瞬の気の緩みで崩れてしまうことを私たちは忘れてはならない。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組