テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

山・海・漬 放送開始20周年記念スペシャル 全国に羽ばたくメードイン岩手

番組ID
211188
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年10月14日(金)19:00~19:55
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリーgroups芸能・バラエティー
放送局
岩手めんこいテレビ(MIT)
製作者
岩手めんこいテレビ(MIT)
制作社
岩手めんこいテレビ(MIT)、めんこいエンタープライズ
出演者
スタッフ
CAM:浅沼淳一、CAM:猪井泉彦、VE:上野篤史、VE:秋山俊輔、選曲:山内智臣、MA:山内智臣、EED:舘澤政則、CG:馬場直之、CG:吉田葉子、広報:久保郁子、ディレクター:坂野敬、ディレクター:庭田康宏、プロデューサー:青田優
概要
岩手県内を縦横無尽に駆けまわり、食・自然・体験などを通して、様々な岩手の文化を伝える番組「山・海・漬」。今回は1996年10月14日の放送開始から20周年を記念したスペシャル版で、山海漬リポーター陣は岩手を飛び出し、全国で活躍するヒト・モノを探しに出かける。◆まずは空路・釧路市へ。そこには貨物船に乗り組む釜石出身の若き船乗りが居るという。向かったのは滝澤アナ。船の仕事と生活に驚きながらも地元の市場を訪ね新鮮なグルメを堪能する。◆一方、岩手生まれの製品を探しに東京スカイツリーを訪ねた武田アナは、大東京の景色が気になるものの、岩手生まれの製品を見つけた。◆そして岩手の伝統・南部杜氏の技を取り入れ酒造りに情熱を注ぐ老舗蔵元を探して、飛田アナが富士山のふもと静岡県富士宮市へ出かけた。しかし市民に聞いて回るも分からず暗礁へ。果たして無事に蔵元へ辿り着くことが出来るのか。

同じ年代の公開番組

ザ・ドキュメント パーソナリティ始めました ~インターネットラジオに託す夢~

2015年6月に開局したインターネット上のラジオ「ゆめのたね放送局」。このラジオ局をつくり、パーソナリティを募集したのは、見た目も語り口も軽めの、大輔と尚起。しかし実は、真面目で情熱家。数年越しの夢を実らせ、大阪・門真市のおしゃれなビルの中に放送局を誕生させた。◆「ゆめのたね放送局」には約200人のパーソナリティが所属し、週に1回、30分の自分の番組を持っている。費用は月に一万円。お金を払ってしゃべっているのだ。しゃべりに関してはほとんどが素人。これまでの人生で「生き辛さ」を感じてきた人が多いのも特徴だ。◆「まるはだかラジオ」という番組を始めたのは、勇守。彼は以前、女性教師として高校に勤務していた。生徒に本当の自分を伝えられない苦しさもあって教師を辞め、性同一性障害や同性愛など、LGBTに対する理解を深めるためにマイクに向かっている。LGBTの関係者をゲストに招いて展開するトークは、あくまで軽やか。時に下ネタも交えつつ番組を進行する。笑いの絶えない番組だが、想いは真剣そのものだ。◆おとなしい青年・クマは、高校生の頃、引きこもりになった。今もその過去を引きずっている。時間を取り戻そうと焦ってはいるが、外の世界は厳しい。実態のわからない会社に就職してしまい、給料が貰えなかった経験も。番組タイトルは「ひきこのもり」。一見ふざけたようなネーミングだが、至って彼は本気。パーソナリティへの挑戦で、自分を変えようとしている。自分の生活も大変なのに「他人のきっかけを応援する」という。◆「ゆめのたね放送局」をつくった大輔も尚起も、そして200人のパーソナリティも、みんな本気だ。本気で変わりたいし、周りも変えてあげたい。インターネットラジオ局という新しい居場所は、彼らにどんな化学変化を起こすのか。新人パーソナリティが夢の花を咲かせようと奮闘する姿を描くドキュメンタリー。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
8月6日の切符 ~あの日列車が走った~

あまり知られていない事実だが、原爆が投下された1945年8月6日、広島で国鉄の列車が運行されていた。その列車によって繋がれた命があった。庄原市の江木千鶴子さんは、あの日乗車した芸備線己斐-備後十日市(現在の西広島-三次)間の切符を、原爆資料館に寄贈した。当時1歳8か月の江木さんは広島駅で母親と共に被爆し、その日のうちに列車で広島を逃れた。生き延びることができたのは、沿線の住民らの救護のおかげだった。一方、原爆投下のわずか1時間後、損傷した広島駅では国鉄職員らが復旧作業を始めていた。現在マツダスタジアムがある第一機関区では、貨車を寄せ集めた避難列車が糸崎駅へ向けて出発しようとしていた。その列車で避難した男性は、今もその時の状況を鮮明に覚えている。鉄路を伝って逃げてくる被爆者を機関車の運転席に乗せ、西条に運んだ国鉄マンもいた。列車によって多くの命がつながった一方で、原爆による混乱は、壊滅した広島市街地から遠く離れた郊外にも広がっていくことになる。広島と広島以外。原爆で分かれた2つの世界を列車は行き来した。列車をめぐるあの日の物語を関係者の証言や残された資料から掘り起こす。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組