テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

暗潮 ~北の工作と失踪~

番組ID
211441
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年05月29日(日)15:05~16:00
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)、TBSテレビ、北陸チューリップ
出演者
ナレーター:よしいよしこ、声:トビー上原
スタッフ
絵:早見紗世佳、題字:竹田天鴻、撮影:柿沢雄二、撮影:森修、撮影:五藤充哉、MA:高田学、選曲:矢崎裕行、選曲:岩本圭介、通訳:宋善珠、CG:田口衛、構成:吉田豊、取材:槇谷茂博、プロデューサー:中村成寿、制作統括:服部寿人
概要
拉致被害者をはじめ、全ての日本人を対象にした調査を行うことを約束した日朝合意から1年9か月あまり。2016年2月、北朝鮮は日本人に関する調査を全面的に中止し、特別委員会を解体すると発表した。最愛の人の帰りを待つ家族にとっては、またしても奈落の底に突き落とされる結果となってしまった。多くの日本人が拉致されたとみられる1960年代から80年代にかけて、富山でも多くの人が不可解な失踪をしている。拉致の可能性が排除できない特定失踪者は富山県内に8人。失踪者のいた場所の近くでは、アベック拉致未遂事件や北朝鮮工作員が飛び降り自殺した事件が発生していた。そのほか、日本人を拉致した実行犯が、高岡市で少年時代を過ごし、富山でも工作活動していたことが判明した。番組では、北朝鮮工作員の富山県の上陸ポイント周辺で、聞き込み取材を徹底的に進めたほか、元工作員や当時の捜査官から貴重な証言を得て、富山で暗躍を続けた工作員の姿を洗い出した。暗くて深い北の闇。特定失踪者家族は高齢化し、残された時間は決して多くない。

同じ年代の公開番組

SBSスペシャル ふるさとを守れるか ~震度6弱 小谷・真木集落の600日~

2014年11月に県北部を襲った地震。小谷村では震度6弱を観測し、約110棟の住宅が全半壊した。11世帯が暮らしていた真木集落では、冬は2メートル近くの雪が積もる。住民は支え合って生きてきたが、住宅が全壊するなどの被害を受け、今住んでいるのはわずか5世帯。避難生活を続ける住民は、集落に自宅を再建するかどうか選択を迫られている。内山利博さん(59歳)はこの地で生まれ育ち、3人の娘を育てた。自宅は全壊し解体。一家は集落を離れ大町市に生活の拠点を移す。それでも利博さんは、ふるさとを守りたいと真木集落へ通い続ける。内山徹雄さん(78歳)の自宅も全壊。ふるさとに残りたいと、妻と2人で避難生活を送る。集落でそば店を営む宇田川光平さん(39歳)は、山村留学を通じて集落に移住した。地震で壊れた店を修理し集落に残るという。地震で一変したふるさとの姿は、過疎と高齢化という現実を住民に一気に突きつけた。2016年に入り集落が統合する動きも出始めた。集落の絆を守り、存続の危機を乗り越える道はあるのか。真木集落の600日を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
異見 米国から見た富山大空襲

富山は焼夷弾によって市街地の99.5%を破壊され、戦災都市の中でも飛び抜けた被害を受けた。戦後70年の2015年夏、なぜ富山の街は徹底的に焼き尽くされたのか、日米両国での取材によって解明する。米国立公文書館では、米軍が富山大空襲の直前に、対空砲火を避けるためにB-29の腹を真っ黒に塗っていた事実を突き止めたほか、富山大空襲は、米軍の司令官カーチス・ルメイが陸軍航空軍の38回目の記念日に計画した『祝賀爆撃』であったことを裏付ける映像を発見した。2016年8月、富山を焼き尽くした米陸軍航空軍・第73爆撃航空団の戦友会が、ニューオーリンズで開かれた。会場ではチューリップテレビが取材した元乗組員(92歳)の提案で、富山大空襲検証番組「わすれない~富山大空襲70年目の証言~」の英訳字幕版が上映された。71年前の悲劇を戦勝国、米国の元乗組員たちがどう受け止めるのか。そして軍上層部の命令により、超低空飛行で日本各都市への焼夷弾爆撃を実行した彼らは、あの戦争をどう受け止めていたのか。米国から見た富山大空襲を検証した。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
HTBノンフィクション イチオシ!NEWS 老いるショックスペシャル ともに明日へ ~認知症患者がつなぐタスキ~

「認知症の人も、その家族も、生き生きと暮らせるように」。そんな願いから、患者と家族と周りの人たちがタスキをつなぐ、リレーのイベントが2012年、北海道で生まれた。「ラン・トゥモロー(明日へ走る)」を略し、「RUN伴(ランとも)」という。北見市の86歳の男性は要介護5の認知症。妻と娘は当初、「家族が認知症であることを隠したかった」という。それでも「お父さんの笑顔が見たい」と、3人でRUN伴の参加を決めた。男性の車椅子を囲むように、家族や近所の人たちが130メートルをタスキでつないだ。函館市の70歳の女性は、認知症と診断され、「もうダメね。終わり。早く死にたいよ」などと日記に書きつづっていたが、ある日、「認知症とともに生きていこう」と吹っ切れた。入所している介護施設から頼まれ、「RUN伴」のタスキを縫った。タスキは全部で16本。昔から裁縫が得意だった。女性は走るつもりはないと話していたが、当日、タスキをかけた。北見から函館まで、参加者はタスキに思いを込めた。タスキはさまざまな人たちに変化をもたらした。年々増加する認知症患者とどう向き合うかを提言する。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組