テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

オーロラのサムライ

番組ID
212235
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年12月31日(土)11:55~12:50
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
南海放送(RNB)
製作者
南海放送(RNB)
制作社
南海放送(RNB)
出演者
ナレーター:保持卓一郎
スタッフ
題字:新家まゆみ、カメラ:伊東英朗、音声:山内登美子、翻訳:松浦宏之、翻訳:ウェス・じゃん=まーく、AD:新家まゆみ、CG:河野亜美、テロップ:武田宏美、チーフプロデューサー:兵頭英夫、プロデューサー:小倉健嗣、ディレクター:伊東英朗
概要
明治時代に独りアラスカに渡り、アラスカの発展に寄与した和田重次郎。重次郎は愛媛の出身で、武家の家に生まれたが16歳の時に単身渡米。数年捕鯨船で働いた後、アラスカに入り、そこで犬ぞり使いとして名を馳せる。その後、先住民族のリーダーとなるが、ある出来事からスパイ容疑を掛けられてしまう。番組では、これまで十分にその実態が知られていなかった重次郎の生い立ち、足跡をアラスカの美しい大自然と共に綴る。取材中、偶然、重次郎が暮らしたとされる家屋跡や重次郎が発見した金鉱の地図などが見つかる。また、重次郎の足跡を知るユピック族の村を日本のカメラとして初めて取材。重次郎と同時代のもう一人の日本人の手がかりはつかめたが、重次郎の痕跡には至らなかった。ただ、重次郎のアラスカでの功績を再確認するとともに、次への手がかりを掴むことに成功する。◆南海放送は21年にわたり和田重次郎を取材してきた。過去に制作したラジオドラマ、ミュージカルなども織り込んで構成されている。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第65回放送と公共性優秀(和田重次郎を今に伝える 南海放送21年の記録))

同じ年代の公開番組

8月6日の切符 ~あの日列車が走った~

あまり知られていない事実だが、原爆が投下された1945年8月6日、広島で国鉄の列車が運行されていた。その列車によって繋がれた命があった。庄原市の江木千鶴子さんは、あの日乗車した芸備線己斐-備後十日市(現在の西広島-三次)間の切符を、原爆資料館に寄贈した。当時1歳8か月の江木さんは広島駅で母親と共に被爆し、その日のうちに列車で広島を逃れた。生き延びることができたのは、沿線の住民らの救護のおかげだった。一方、原爆投下のわずか1時間後、損傷した広島駅では国鉄職員らが復旧作業を始めていた。現在マツダスタジアムがある第一機関区では、貨車を寄せ集めた避難列車が糸崎駅へ向けて出発しようとしていた。その列車で避難した男性は、今もその時の状況を鮮明に覚えている。鉄路を伝って逃げてくる被爆者を機関車の運転席に乗せ、西条に運んだ国鉄マンもいた。列車によって多くの命がつながった一方で、原爆による混乱は、壊滅した広島市街地から遠く離れた郊外にも広がっていくことになる。広島と広島以外。原爆で分かれた2つの世界を列車は行き来した。列車をめぐるあの日の物語を関係者の証言や残された資料から掘り起こす。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日本のチカラ サバの魔法使い ~水産加工で八戸を元気に!

全国有数の水揚げ量を誇る青森県八戸市。秋から冬に獲れる「八戸前沖サバ」は脂がのりにのったサバで、青森県が誇るブランドだ。しかし東日本大震災で八戸の水産業も大きな被害を受けた。そんな時、なんとかサバで八戸を元気にできないかと、秋山兼男さん(58歳)は水産加工会社マルカネを立ち上げた。そのマルカネの新製品「焼きとろさば」に、身が崩れるというクレームが入った。身崩れを防ぐには、サバの水分をできるだけ減らさなければならない。そこで考え出したのが「紙技」だった。アイデアは大成功し、焼きとろさばは身崩れがしにくく、会社の売り上げも増加した。しかし、会社が軌道に乗ったのもつかの間、新たな問題が発生した。水揚げされるサバが、年々小さくなってきたのだ。そこで、サバ一本で勝負している秋山社長は新たな商品開発に乗り出した。小さいサバをミンチにして、地元の農産物と掛け合わせた味噌を作ろうというのだ。「加工屋は地元にお金を落とすのが役目。加工とは地元の良さを引き出すことだ」と秋山社長は言う。サバに魔法をかけ続ける、社長の姿を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組