テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

イッピン 東北のカワイイ 世界へ! ~宮城 鳴子こけし~

番組ID
212352
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年05月27日(火)19:30~19:59
時間(分)
29
ジャンル
school教育・教養
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHKエンタープライズ、ぷろぺら
出演者
安めぐみ、ナレーション:平野義和
スタッフ
CG:鈴木哲、撮影:成田伸二、音声:渡辺厚、照明:大沼静、音響効果:黒田正信、編集:白木くにはる、ディレクター:三戸宏之、プロデューサー:小倉宣勇、制作統括:原徹、制作統括:紙屋聡
概要
おしゃれで新しい感覚のデザインや、現代の生活スタイルにマッチした機能。日本が誇る職人の高度なワザを生かした魅力的な「イッピン」が、いま全国各地で作られ、国内はもとより、海外でも人気を呼んでいる。そんな「イッピン」の人気の理由を探るため、リポーターが生産現場を訪れて科学的なアプローチや驚きの映像で迫り、すぐれた技術の秘密を解き明かしていく。見て美しく、使って便利な「イッピン」が、続々登場する。(2012年10月2日放送開始)◆今回のイッピンは、宮城の「鳴子こけし」。いま女性たちの間で熱い注目を集める「こけし」。パリでも最新の「カワイイ」として人気だ。そんなこけしをリサーチするため、一大産地として知られる宮城県鳴子温泉に安めぐみが向かった。ストライプ模様を身にまとい、「キュッキュ」と音を出す不思議なこけしとの出会い。さらに斬新なデザインで、様々なグッズに変身したこけしも登場。人々を癒やす伝統玩具の魅力を発見していく。

同じ年代の公開番組

イチスペ! 帰ってきたかりんとう

東日本大震災から3年。宮城県女川町は町の中心部を津波に流されるなど、震災で壊滅的な被害を受けた。震災前、女川町には全国から注文が相次ぐ、人気のかりんとう工場があった。障害者が働く作業所「きらら女川」。2011年3月には作業場を増設することになっていた。そして3月11日。工場の引越しを終えた後、津波に襲われて仲間2人が犠牲となった。◆経営者の阿部雄悦さんは廃業も考えたが、ガレキの中から奇跡的に大事なミキサーが見つかったため、工場の再建を決意した。しかし再建の場は、宮城から800キロ離れた鳥取県伯耆町。「きらら女川」の立ち上げに協力した同志・松原千晶さんの故郷だ。震災から3か月後、かりんとう工場は鳥取で再スタートした。◆しかし2人の目標は、あくまで宮城県女川町での工塲再建。そしてついに震災から2年4か月を経て、女川町にかりんとう工場が帰って来た。今では16人の障害者が働いている。阿部さんの代わりに、松原さんが宮城で働くこととなった。鳥取には阿部さんにしかできない仕事が多くあり、鳥取を離れられないからだ。◆鳥取県に残った、宮城県出身の阿部さん。被災地で働く、鳥取から来た松原さん。ふるさとを離れた2人の活動により、鳥取、宮城、両県に障害者の働く場が生まれた。震災から3年、阿部さんはふるさと宮城で開かれた追悼式に出席した。この時に初めて、阿部さんはカメラの前で本当の思いを語った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日本!食紀行 60年ねかせたご当地ラーメン ~鳥取牛骨ラーメン~

全国一人口が少ない県、鳥取県。のどかなその土地で、60年以上ひっそりと愛され続けるご当地ラーメンがある。その名は「鳥取牛骨ラーメン」。トンコツでもトリガラでもなく、ウシの骨、牛骨スープがベースのラーメンだ。その味は、牛ならではの香ばしさと甘さがほんのり広がる、まさに“のどかな”風味。県内60以上のお店で提供されていて、まさに鳥取県独自の食文化である。しかし鳥取では誰も牛骨ラーメンが特別だと思っておらず、つい最近まで“ただのラーメン”としか認識していなかったという。◆「鳥取牛骨ラーメン」が世に知られるようになったのは、わずか4年前のこと。きっかけは、牛骨ラーメンを鳥取県のご当地グルメに育てようと、有志の市民グループが応援団ならぬ「応“麺”団」を結成したことだった。その団長は、なぜか若き僧侶。しかも“日本一危険な国宝”といわれる、築1000年の建造物を有する古刹の一門だった。◆ブームとともに全国からお客さんが押し寄せることとなった「鳥取牛骨ラーメン」。地元を飛び出して東京へ、そして海外へも進出した。そもそもなぜ鳥取県で牛骨のラーメンが普及したのか、そしてその背景にある鳥取の人と牛との先祖代々続く深いつながりとは…?。たかがラーメン、されどラーメン。60年間しっかり寝かせた?いや寝たままだった?!鳥取牛骨ラーメンの歴史と文化に学ぶ。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
スーパーニューススペシャル 僕のミライ ~青い鯉のぼり・健人の夏~

宮城県東松島市で生まれ育った伊藤健人さん(21歳)は、東日本大震災で祖父母、母、弟の家族4人を失った。当時、高校生だった健人さんは、遺体安置所をまわり、変わり果てた家族と対面する日々を送りながら、自分や周囲を励ますようなことをしたいと考えていた。◆幼い頃から和太鼓を続けていた健人さんは、憧れの和楽器集団「閃雷」プロデューサーの千葉秀さんに太鼓の演奏依頼のメールを送った。健人さんの亡くなった弟・律くんが青い鯉のぼりが大好きだったことを聞いた千葉さんは、太鼓の演奏だけでなく、津波で亡くなった子どもたちを供養するため、全国から青い鯉のぼりを集めて揚げようと提案。一緒に「青い鯉のぼりプロジェクト」を立ち上げた。◆一方、健人さんの父・伸也さんは、家族を失ったショックから、気力を無くし仕事を辞めた。そんな父を見ているうちに、健人さんは将来好きな音楽の道に進むか、安定した職業に就くべきかで迷い始める。すると、亡くなった母・智香さんがかつて健人さんに内緒で書いていた手紙が届く。そこに書かれていたのは「世界に通用する和太鼓奏者になりたい」という夢を忘れていないか、というメッセージだった。◆2014年夏。天国の母から背中を押され、健人さんは青い鯉のぼりプロジェクトの活動を広めるためにアメリカに渡り、太鼓を演奏した。そこで大きな挫折を味わい、今まで気付かなかった「大切なこと」に気づく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組