テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

NNNドキュメント’21 凍土の記憶 ~96歳が伝えたシベリアの強制労働~

番組ID
217010
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年10月18日(月)00:55~01:25
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
讀賣テレビ放送/読売テレビ放送(YTV)
製作者
讀賣テレビ放送/読売テレビ放送(YTV)
制作社
讀賣テレビ放送/読売テレビ放送(YTV)
出演者
ナレーション:藤田千代美
スタッフ
撮影:綱本直、編集:浅田邦裕、EED:下林高幸、EED:中澤丈、音響効果:久保秀夫、MA:久保秀夫、コーディネーター:ブルロフ・イゴール(ロシア取材)、ディレクター:堀川雅子、プロデューサー:吉川秀和
概要
10月7日は京都府舞鶴市にとっては特別な日である。1945年に第二次世界大戦後の満州やシベリア抑留からの引き揚げ者を迎えたのがこの日だった。以来13年間にわたって約66万人の帰国者と遺骨1万6千柱が、舞鶴港からふるさとへ帰っていった。「シベリア抑留」は、終戦後に、満州の軍人らが次々とソ連へ連行され強制労働させられたことを指す。京都府綾部市の原田二郎さん(96歳)もその一人。16歳の時に満州にわたり、衛生兵として働いていたが、戦後シベリアへ送られた。零下30度、飢えやノルマに追われる過酷な環境で4年間働き続けた。帰国後は毎晩、悪夢に苦しんだ。満州で看護にあたった両手両足のない負傷兵の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。その苦しみは50年間続き、家族にさえ打ち明けたことはなかったが、ある日、地元の婦人会から声がかかり、自らの戦争体験を語ったところ、その晩から悪夢は消えた。この経験を機に語り部ボランティアを始めた。「記憶の封印」を自ら破り「継承」しようとするのは、戦争を二度と繰り返してほしくないという強い思いがあったからだ。精力的に語り部活動を続けた原田さんは、2021年7月、老衰のため息を引き取った。戦後76年、原田さんが伝えた激動の人生と平和への願いは、父から娘へ継承されている。

同じ年代の公開番組

テレメンタリー2021 “3.11”を忘れない83 震災家族 ~遺された父と子の10年~

死者・行方不明者が約2万2000人に上る東日本大震災。宮城県は、被災した自治体の中で最も多い犠牲者が出た。女川町の漁師・鈴木高利さんは、津波で両親と妻・智子さんを失った。遺されたのは長男・智博くん(当時11歳)、長女・奈桜さん(当時9歳)、そして当時まだ2歳だった次女・柚葉ちゃん。7人家族が突然4人家族になって10年。学校のお弁当づくり、家事、病気の世話、漁師の仕事。子どもたちが成長するに伴って接し方にも悩みながら、高利さんは男手一つで子どもたちを育ててきた。現在、智博くんと奈桜さんは仙台の大学に通う学生だ。津波で突然母を失ったことを、まだ受け入れられないと語る智博くん。それでも、震災を語り継ぎ、少しでも命を救おうと活動を続けている。「こんな時、ママがいればな」と思った時もあったと語る奈桜さん。子どもの頃からの夢「保育士」になるために勉強中だ。まだ2歳だった柚葉ちゃんは、この春中学生になる。最愛の人を突然失い、遺された父と子どもたちは震災とどう向き合い、どう生きてきたのか。くじけそうな時、彼らを支えたものは何だったのか。ある家族が歩んだ10年を見つめ、震災遺族の今を伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
静岡発そこ知り 世界へ発信!しずおかの天ぷら

日本最高峰の天ぷら屋が静岡にある。その名は、「成生(なるせ)」。店主の志村さんは、大学卒業後、サーフィンをしたくてオーストラリアへ。そこで皿洗いのアルバイトを始めたことがきっかけで料理の道に入った。帰国後、焼津の割烹料理屋で修業し、そこで天ぷらの奥深さを知り、2007年に自分の店をオープンした。最初はうまくいかず、仕入れすらできなくなることもあった。その時励ましてくれたのが、焼津のサスエ前田魚店の5代目・前田尚毅さん。地元の食材にこだわって2人でメニューを考えていき、今や県外の美食家たちがこぞって訪れる天ぷら屋に成長した。川崎出身の志村さんは、東京への進出を考えていた時もあったが、静岡への恩返しの意味で移転先は同じ静岡に決断した。番組では、新生「てんぷら成生」のオープンまで密着。新店舗では徳川家康にちなんだ新メニューを出そうとしていた。果たして日本が誇る天ぷら職人と魚屋がどんなメニューを作り出すのか。試行錯誤を繰り返して、完成するまでにも迫る。静岡を誰よりも愛する男・志村剛生が生み出す、静岡でしか食べることができない天ぷらとは。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
映像’21 辺境に生きる 芸術家と家族の移住生活

2009年、人口600人ほどが暮らす小さな町、和歌山県串本町田並に林憲昭さんと茎子さん夫婦が東京から移住してきた。「豊かな自然の中で子育てをしたい」と考え、町の人里離れた山奥の一軒家で、秋になると薪を割り、シカやイノシシのワナ猟もするワイルドな生活を送っている。子供たちも、大自然の環境の中、伸び伸びと過ごしている。「現代美術家」の肩書きを持つ憲昭さんは、移住してからこの地の自然にインスピレーションを受けた芸術作品を制作している。2014年には、町に残るボロボロの劇場跡に目を付け、町の文化の拠点として再生すべく、妻の茎子さんと2人で、4年かけて建物を修復した。そして2018年には、映画の上映会を復活させ、地方から文化の発信を始めている。2020年に入り、新型コロナウィルスの影響からか、この地域に移住を希望する人たちが増え、今は移住者の先輩としてサポートしている。辺境の地での生活は思いもよらないトラブルに遭遇することもあるが、様々な苦労を乗り越えながら、家族の絆を強め生きる。そんな林さん家族の日々を見つめた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組