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ラジオ番組

花なき墓標 満蒙開拓・死の逃避行

番組ID
R00959
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放送日時
1995年08月14日(月)22:30~23:30
時間(分)
57
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
青森放送(RAB)
製作者
青森放送(RAB)
制作社
青森放送(RAB)
出演者
語り:大友寿郎
スタッフ
構成:黒滝久可、制作:黒滝久可
概要
青森から旧・満州国(中国東北部)の黒河県に入植した300人は、日ソ開戦と同時にはるか南の北安をめざし逃避行を開始した。開拓団がたどった死の逃避行の2か月間とその後を数少ない生還者の証言でつづる。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第44回教養番組部門最優秀)

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録音でつづる戦後50年 もはや戦後ではない(1956年)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「もはや戦後ではない」。ゲストに東京地婦連事務局長の田中里子さんを迎えて1956年を振り返る。◆昭和31年、日本とソ連との交流が回復し、シベリアから抑留者を乗せた引揚船が次々と入港、東海道線が全線電化、アメリカの女優グレース・ケリーがモナコ王妃になるなどの話題があった年である。経済白書で使われた「もはや戦後ではない」がこの年の流行語となった。「神武景気」などと呼ばれ日本経済は高度成長へと方向づけられたが、庶民の生活はまだ貧富の差が激しく、エンゲル係数は50%以上、国鉄やお米の値上げが続くなど、決して「もはや戦後ではない」という言葉が当てはまる時代にはまだなっていなかった。この言葉は豊かになったという意味ではなく、敗戦という悲観的な考え方をする時代は終わったということなのではなかったのか。◆広島・長崎の原爆から11年が経過、ビキニ環礁では地球上最大規模の核実験が行われた。日本では各地で米軍基地問題が起こり、地婦連をはじめとする複数の婦人会が結束し抗議行動を行なった。8月に日本原水爆被害者団体協議会が結束され、12月には国連にも加盟。核兵器の廃絶・戦争のない平和な世界は、政府間だけの協議では築けない。国と国との架け橋、人々の声と政治の力を合わせて人類の生命や幸福を守ろうという意識が高まった。


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