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ラジオ番組

私の日本語辞典 ことわざとなぞなぞと季語と(2) 柴田武

番組ID
R01130
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放送日時
1995年10月08日(日)22:20~23:01
時間(分)
41
ジャンル
adaptive_audio_micトーク・ワイドショーschool教育・教養
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
制作:矢野正人、構成:伊東秀彦
概要
幅広い分野から講師を迎え、日本語をユニークな視点から捉える「私の日本語辞典」。3回シリーズで言語学者の柴田武さんを迎える。第2回は世界90地域から集めたなぞなぞの紹介や分析を伺う。聞き手は秋山和平。

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NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「安保で揺れた年」1960年を振り返る。◆昭和26年に調印された日米安全保障条約がいろいろと問題があるとして改正されたのが昭和31年であるが、この改正に反対した学生たちを中心とする人たちは激しい闘争を繰りひろげた。いわゆる60年安保闘争である。昭和35年当時、NHK社会部のデスクとして取材の陣頭指揮をとっていた梅村耕一さんと当時を振り返る。◆昭和32年、ソビエトは人工衛星の打ち上げに成功した。これはアメリカの大陸間弾道弾の技術がソビエトより遅れていたことを意味するものであり、こうしたことが安保改正の背景にあったと梅村さんは話す。◆5月19日政府は、新安保の成立を図るため委員会での質疑を打ち切り会期の延長を決定した。これに対し社会党議員は衆議院議長室の前に座り込みを行い、警察官が導入されるなど大混乱になった。国会周辺では学生に死亡者が出るほどの激しい抗議でもが行われた。政府が強行採決をしたのは、6月20日にアメリカ大統領夫妻の来日が予定されていたため、それまでに安保の改正を決めておく必要があったためだと梅村さんは言う。◆三井三池炭坑では、大量の人員整理をめぐって長期間にわたる労働者争議が行われたし、南米のチリで発生した津波は三陸地方に押し寄せ100人以上の死者を出す大災害となるなど、昭和35年も大変な年であったと梅村さんは語る。


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NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「もはや戦後ではない」。ゲストに東京地婦連事務局長の田中里子さんを迎えて1956年を振り返る。◆昭和31年、日本とソ連との交流が回復し、シベリアから抑留者を乗せた引揚船が次々と入港、東海道線が全線電化、アメリカの女優グレース・ケリーがモナコ王妃になるなどの話題があった年である。経済白書で使われた「もはや戦後ではない」がこの年の流行語となった。「神武景気」などと呼ばれ日本経済は高度成長へと方向づけられたが、庶民の生活はまだ貧富の差が激しく、エンゲル係数は50%以上、国鉄やお米の値上げが続くなど、決して「もはや戦後ではない」という言葉が当てはまる時代にはまだなっていなかった。この言葉は豊かになったという意味ではなく、敗戦という悲観的な考え方をする時代は終わったということなのではなかったのか。◆広島・長崎の原爆から11年が経過、ビキニ環礁では地球上最大規模の核実験が行われた。日本では各地で米軍基地問題が起こり、地婦連をはじめとする複数の婦人会が結束し抗議行動を行なった。8月に日本原水爆被害者団体協議会が結束され、12月には国連にも加盟。核兵器の廃絶・戦争のない平和な世界は、政府間だけの協議では築けない。国と国との架け橋、人々の声と政治の力を合わせて人類の生命や幸福を守ろうという意識が高まった。


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