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ラジオ番組

生きてこそ 障害を分かち合った夫婦の日々

番組ID
R01214
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放送日時
1996年11月23日(土)20:00~20:55
時間(分)
53
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
MBSラジオ(毎日放送)
製作者
MBSラジオ(毎日放送)
制作社
MBSラジオ(毎日放送)
出演者
語り:小山紀一、朗読:三好俊行
スタッフ
構成:今道彰、制作:今道彰、技術:清水喜親、技術:駒井竜太郎、効果:安達日出男、監修:安達日出男
概要
大阪在住の夫婦は結婚して24年。夫は手足が不自由で、妻は目が全く見えないが、助け合って生活してきた。以前は自分の世界に閉じこもりがちなふたりだったが、結婚後は「障害者は外に出ることが大切」と考え、積極的に外へ出るようにしている。ふたりの生い立ちと結婚後の日常を追いながら、障害とどう向き合って生きているかを描く。
受賞歴
芸術祭賞(第51回優秀賞)

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録音でつづる戦後50年 高度成長と農業(特集)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回は特集「高度成長と農業」。農民作家の佐藤藤三郎さんと農業の問題について考える。◆昭和31年から33年の頃の農業は、米も野菜も作れば高く売れた時代で、農家も意欲を持って農業に励んでいた。しかし昭和35年になると、所得倍増計画という政府の政策があり、その農村版ということで農業基本法が成立する。その法律は農民の立場に立ったものであったのかどうか疑問であったと佐藤さんは言う。◆農村から若者が都会へと出て行き、農村の人口はどんどんと減少していった。結局、第二次産業、第三次産業に労働力を回す狙いがあったのではないかと佐藤さんは語る。その後の農業は、規模の拡大ということで機械を導入することになるが、それに見合うだけの収入はなく、借金返済のため出稼ぎ等、農業以外に収入を考えなければならなくなった。◆昭和42年、米は大豊作で農家はボーナス景気であったが、その後も豊作が続き、古米が余る状態となり、政府は生産者米価を据え置くとともに減反や転作を奨励していくこととなった。しかし麦や豆を作っても外国から入ってくる価格には追いつかず、転作は増えなかった。◆米を除けば、穀物類の80%近くは輸入によるものであり、消費者はこの事情をよく考えて欲しいと佐藤さんは話す。番組では草野比佐男さんの詩と朗読が紹介される。


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