テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

スクランブルサンデー 米子のおばちゃんスペシャル

番組ID
R02750
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年05月22日(日)09:30~11:00
時間(分)
58
ジャンル
adaptive_audio_micトーク・ワイドショー
放送局
山陰放送(BSS)
製作者
山陰放送(BSS)
制作社
山陰放送(BSS)
出演者
スタッフ
制作:宇田川修一、演出:大田祐樹、構成:大田祐樹
概要
BSSラジオ・日曜日の生情報番組「大田祐樹のスクランブルサンデー」。午前がパート?、午後がパート?の2部構成。(2003年4月放送開始)。◆この日のパート?では、地元商店街の女性店主のみなさんをスタジオに招待。「米子のおばちゃん」がパワフルで元気なところをPRする。ふるさと自慢やイベント情報などをワイワイガヤガヤと紹介しながら、おばちゃんパワーをオンエア。打ち合わせなし、ぶっつけ本番で臨んだ生放送だったが、まるで店先で茶飲み話でもしているかのような感覚で好き勝手に話を進めるおばちゃん5人。地元の米子弁について、商店街のイベント「戸板市」について、さらにレギュラーコーナー「注目の映画・本のコーナー」でも、おばちゃんトークは炸裂する。

同じ年代の公開番組

戦後60年特別番組 足が生えてこなかった

60年前の1945年、大阪は空襲により「じゅうたん爆撃」にさらされた。アメリカは「戦略爆撃」という航空攻撃により日本人の戦意を喪失させようとし、大阪は日本攻略向けの兵器「B29」と「焼夷弾」によって火の海となった。◆子供にも兵火は及び、命は無事であったものの身体に大きな後遺症を受け、障害を持った人々がいる。足を失った人は、また足が生えてくると信じていたと語る。彼らの後遺症や障害は、物心がついてからは深刻な苦悩となり、言われのないそしりを受ける原因となった。◆彼らは被害者でありながら、軍人や軍属でないという理由から補償や補助もない。当時子供であった彼らが体験した空襲の怖さ、むごさ、そして後遺症、障害のために戦後も続いた苦悩。戦時中より戦後の方が辛かったようだ。◆2005年8月、空襲死没者の名前を刻んだ「平和を願うモニュメント」が大阪に建設される。この建設には被災女性の執念があった。それぞれの心に刻まれた60年という歳月。戦後60年、日本は平和を維持してきた。しかし、この平和はけっして永遠ではない。◆番組は実際に大阪空襲の被害にあった人々を取材し、空襲の恐怖や戦後の苦しみを生々しい肉声で描き出す。ラジオ大阪戦後60年特別番組。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
名古屋人はやっぱりシャチだがね 尾張名古屋はシャチでもつ、金シャチが愛されるわけ

独自の文化的風土で知られる尾張・名古屋。そして名古屋のシンボルとして愛されているのが「金のシャチホコ」。金シャチについて多方面から取材し、名古屋の魅力を分析する。◆名古屋では、シュークリームから自衛隊のマークまで、あらゆるところに金シャチが存在する。実はこれにはワケがあった。◆およそ400年前、徳川家康の名古屋城築城の折に、天守閣の屋根に登った金シャチ。東海道をゆく旅人に、徳川家の権威を誇示するためだった。財政難に陥った尾張藩のため、うろこをはがしてお金にかえ、藩を救ったことも。明治に入ってからは、オスは全国の博覧会に、メスはオーストリア・ウィーンの万博へと巡業の日々。…などなどエピソードの数々を、金シャチ自ら語っていく。◆名古屋人はなぜこんなに金シャチが好きなのか?。「名古屋と金シャチ」を発表した国際日本文化研究センターの井上章一氏が、作家で自称「金シャチスト」の清水義範氏との対談で探っていく。◆リポートは雷門獅篭と雷門幸福。案内役は神田山陽。出演は矢野きよ実、多田木亮佑。


groups芸能・バラエティーradioラジオ番組