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ラジオ番組

平成版とりあげばあさん お産の家ささした助産所から聞こえる声

番組ID
R02786
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年05月27日(金)21:00~21:55
時間(分)
56
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
福井エフエム放送(FM福井)
製作者
福井エフエム放送(FM福井)
制作社
福井エフエム放送(FM福井)
出演者
語り:飴田彩子
スタッフ
構成:飴田彩子、演出:飴田彩子、制作:飴田彩子、制作:黒川元司、音楽:吉田真里子、技術:佐竹晃次、効果:中東康弘
概要
現在はお産の99%が病院やクリニックでの施設内分娩であるが、「自分らしいお産をしたい」「畳の上で産みたい」など“産み方”にこだわる声も聞かれるようになった。番組では、福井県の「お産の家・ささした助産所」でのお産に対する考え方や取り組みを紹介しながら、人の命の尊さを再認識する。

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戦後60年特別番組 足が生えてこなかった

60年前の1945年、大阪は空襲により「じゅうたん爆撃」にさらされた。アメリカは「戦略爆撃」という航空攻撃により日本人の戦意を喪失させようとし、大阪は日本攻略向けの兵器「B29」と「焼夷弾」によって火の海となった。◆子供にも兵火は及び、命は無事であったものの身体に大きな後遺症を受け、障害を持った人々がいる。足を失った人は、また足が生えてくると信じていたと語る。彼らの後遺症や障害は、物心がついてからは深刻な苦悩となり、言われのないそしりを受ける原因となった。◆彼らは被害者でありながら、軍人や軍属でないという理由から補償や補助もない。当時子供であった彼らが体験した空襲の怖さ、むごさ、そして後遺症、障害のために戦後も続いた苦悩。戦時中より戦後の方が辛かったようだ。◆2005年8月、空襲死没者の名前を刻んだ「平和を願うモニュメント」が大阪に建設される。この建設には被災女性の執念があった。それぞれの心に刻まれた60年という歳月。戦後60年、日本は平和を維持してきた。しかし、この平和はけっして永遠ではない。◆番組は実際に大阪空襲の被害にあった人々を取材し、空襲の恐怖や戦後の苦しみを生々しい肉声で描き出す。ラジオ大阪戦後60年特別番組。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組