テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

人生読本 戦無き世代に残すもの 早乙女勝元(作家)〔2〕

番組ID
R20592
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
1996年03月08日(金)05:45~05:55
時間(分)
10
ジャンル
adaptive_audio_micトーク・ワイドショーcinematic_blurドキュメンタリー・録音構成
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
制作統括:伊瀬知成好
概要
著名人が自らの人生や仕事について語るシリーズ。早乙女勝元氏は作家活動を続けながら、東京大空襲を記録する会を結成し、平和運動に携わってきた。2回目はようやく建設に向けて動き始めた東京都の平和記念館について、どんな施設にすべきか構想を語る。

同じ年代の公開番組

録音でつづる戦後50年 高速時代の幕開け(1964年前半)

NHKに保存されている録音で戦後を振り返る『録音でつづる戦後』。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「高速時代の幕開け」。元新聞記者の金森トシエさんと1964年前半を振り返る。◆昭和39年は東京オリンピックが開催され、日本中がオリンピック景気に沸いた。名神高速道路、東海道新幹線が開通し、羽田の国際空港ではジェット旅客機が離着陸を開始するなど高速時代の幕開けとなった年である。◆オリンピックの影響で特に東京は高速道路、ホテル等のマンモスビルの建設ラッシュであった。立体交差による歩道橋が多くなり、妊婦や障害者、高齢者の方たちを無視した町づくりという印象を持った金森さんは、そうした状況について後日反省としての記事を書いた記憶があると話す。◆この年は新潟を中心とした地震が、北陸・山陰では水害が、逆に東京では水不足という大きな災害が発生した。日本は経済大国になっていくが、災害でも大国であることを忘れてはいけないと金森さんは言う。◆昭和39年は海外渡航が自由化され、貿易の面では輸出が順調といわれながらも、消費者物価は上がり続け、中小企業の倒産が相次ぎ、年末になって不況の風が吹き始めた。華やかなオリンピックの後で、台所を預かる主婦の苦労を改めて感じたと語られる。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
録音でつづる戦後50年 円切り上げと石油ショック(1971~1973年)

NHKに保存されている録音で戦後を振り返る『録音でつづる戦後』。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月・1996年3月放送)◆この回のテーマは「円切り上げと石油ショック」。元新聞記者の金森トシエさんと1971・1973年を振り返る。◆昭和46年から48年までの3年間で大きな出来事としては、日本は中国との国交を回復し、沖縄は日本に復帰した。当時、金森さんは中国にも沖縄にも行き、記者として現地の人々から話を聞いて特集記事を書いたことを覚えていて、どちらも印象深い出来事であったと話す。◆昭和24年から続いた1ドル360円という固定相場制は終わりを告げ、変動相場制が昭和46年12月20日から実施された。ドルに対する円の切り上げで、1ドルは308円となる新為替レートでスタートすることになった。◆海外旅行は行きやすく、輸入品は安くなるという反面、輸出産業への影響は深刻であった。政府は公定歩合の引き下げや国債の発行など、円の切り上げに伴う不況を克服するための政策を打ち出したが、おもちゃ(玩具)産業など輸出を主とする中小企業は大変な衝撃を受けることとなった。◆昭和48年10月6日に第4次中東戦争が始まった。この戦争は日本において石油ショックをもたらした。街ではネオンサインが消え、新聞社は頁数を減らし、放送局は放送時間を短縮した。主婦はトイレットペーパーを求めてスーパーマーケットに殺到するなど、世の中は大変なパニックの状況であった。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組