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ラジオ番組

本牧グラフィティ

番組ID
R21311
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放送日時
2014年05月26日(月)00:00~01:00
時間(分)
59
ジャンル
music_note音楽
放送局
横浜エフエム放送(FMヨコハマ・FM YOKOHAMA)
製作者
横浜エフエム放送(FMヨコハマ・FM YOKOHAMA)
制作社
横浜エフエム放送(FMヨコハマ・FM YOKOHAMA)
出演者
スタッフ
構成:松本耕一、演出:今野悦夫、プロデューサー:久富一雄
概要
横浜市は第二次世界大戦後、焼け野原から復興した。しかし1982年までかなりの土地を米軍接収地としてアメリカに提供し(戦後間もなく、全国米軍接収地の62%が横浜の土地だった)、それが横浜市民の生活に、そして東京、ひいては日本に大きな影響を残したことを記憶に留める人は少なくなってきた。良くも悪くも戦後のアメリカの影響をもろに受けていたのが横浜、とりわけ米軍人の住宅と隣りあわせだった本牧だった。この地で60年代、70年代に青春を駆け抜けた若者たちは、大量のアメリカ文化を摂取して、ある者はミュージシャンに、ある者はアメリカ文化の伝道者に、そしてある者は押し潰されて消えていった。戦後日本の縮図が本牧にあった。横浜の米軍基地の変遷とその時代背景を検証しつつ、この時代に青春を過ごした人々の証言から、米軍基地、アメリカ文化の洗礼を受けた若者たちの姿を、当時のR&B、ロックのヒットナンバーに乗せて今に伝える。

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