テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

ゲツキンラジオぱんぱかぱ~ん

番組ID
R22682
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2019年05月01日(水)13:00~16:30
時間(分)
69
ジャンル
adaptive_audio_micトーク・ワイドショー
放送局
山形放送(YBC)
製作者
山形放送(YBC)
制作社
山形放送(YBC)
出演者
スタッフ
プロデューサー:堀田孝、ディレクター:渡辺悠介
概要
平日午後の生ワイド番組。(2008年4月放送開始)◆水曜日の放送、通称「水曜ラジぱん」は、ベテランアナウンサー佐伯敏光とラジオカーリポーターも務める與門愛実が担当する。この日(2019年5月1日)は新元号初日で、メッセージテーマは「改元」。ラジオカーは、庄内町から「令和だー」と叫びながら生まれてきたカッパの紹介、天童市役所から「令和婚」をした人にインタビュー、鶴岡市の記帳所、そして寒河江市の慈恩寺の御朱印を求める人達などをリポートする。スタジオからは、赤ん坊の手形をとるイベントが改元で大賑わいの施設、「令和」にちなんだ焼き菓子を紹介。大正生まれの女性への電話インタビューも伝えた。このほか、飯豊町の観光情報を伝える「いいでいい感じナビ」、酒のおつまみを紹介する「これいただき」などレギュラーコーナーで構成。

同じ年代の公開番組

オードリーのオールナイトニッポン ~むつみ荘から最後の生放送~

お笑い芸人・オードリー(若林正恭・春日俊彰)の2人が毎週土曜日に送る生放送。(2010年10月放送開始)◆阿佐ヶ谷・むつみ荘。インターネットで検索すれば春日の住むアパートとして住所も出てきてしまう、日本でいちばん有名な芸人の自宅。春日は20年前からこの風呂なしアパートの一室に住み続けており、結婚発表後、妻・クミさんと新居に住み始めてからも気になって思わず見に来てしまうと話していたほど思い入れが強い。そんなむつみ荘としっかりお別れをするべく、最後の生放送を企画。リスナーには当日、生放送にて発表となったため、番組開始直後からSNS上で「いつものスタジオと音の様子が違う」「何か小声で話していないか」といった声があがり、実際にむつみ荘で生放送をしていると発表されるとSNS上では感激の声が殺到した。むつみ荘で語られたのはシンプルな昔話。昔、オードリーが売れない頃に「オードリーの小声トーク」と題した、10人限定のライブをこのむつみ荘で行っていた。その際は10人限定のところ7人しか集まらなかったと若林は懐かしそうに語った。むつみ荘から語られる2人のラジオはまさに小声トークであり、ラジオを通じてそのトークを数十万人の人が一斉に聴いて、SNSで感想をやりとりするという、10年前には考えられない夜となった。エンディングでは、今までの10年間のラジオで語られてきた、むつみ荘のエピソードを集めた総集編を送る。


adaptive_audio_micトーク・ワイドショーgroups芸能・バラエティーradioラジオ番組
YBCラジオドキュメント 三つめの庄内 ~やまがたの農家の次三男と女たちの“夢の国”~

本州の最果て、下北半島の付け根に位置する青森県六ヶ所村に「庄内亅という集落がある。山形県庄内地方ゆかりの人ばかりが50戸余り身を寄せ合うように暮らしている。戦後まもない1947年5月、「ヒゲの開拓団長」と呼ばれた佐藤繁作がこの地に導いた。ヒゲの団長らが最初に向かっだのは中国東北部の旧満州。満州での開拓生活は8年に及んだ。しかし、それは耐えられない結末を迎えた。1945年8月にソ連が参戦し、開拓団の人たちの逃避行と難民生活は凄惨を極めた。子どもたちら弱い者から次々に命を失った。満州で実現できなかった“夢の国”をつくろうと、ヒゲの団長たちはヤマセ吹く六ヶ所の不毛の大地に踏ん張った。全くの手仕事で原野を開墾し、相次いだ大凶作は酪農に切り替えて乗り越えた。村での生活が軌道に乗ろうとした時、六ヶ所に巨大開発の嵐が吹き荒れ、やがて核燃料サイクル施設が立地する。山形の庄内から満州の庄内、そして六ヶ所の庄内へ。国策に翻弄され国策と向き合いながら生きた開拓者たちの数奇な人生をたどる。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組